film.

だれも知らないまちへふたりで

タワレコにて

 今日はツいてない日だ。僕はエレベーターで顔をしかめる。十時半から始まる講習があるのに、十時半に目が覚めるし、借りようと思った漫画は、昨日は一巻から五巻まであったのに、今日は五巻しかなかった。Bluetoothのイヤホンの充電は電車に乗ってすぐ切れるし、コーヒーはこぼすしで、本当に今日はだめな日だ。
 軽い音が鳴ってドアが開く。エレベーターを待っていた男の人がいて、不機嫌そうな僕を見てなぜか頭を下げた。僕も思わず会釈する。何か後ろめたいことでもあったのだろうか。それとも上司のご機嫌取りに明け暮れる平社員が不機嫌な僕と上司を重ね合わせて反射的に謝ってしまったのだろうか、ああ悲しいかなサラリーマン。
 そんなことはどうでもいい。僕は前々から欲しかったCDを買いに、このタワーレコードに、来た。そして、目当てのCDを買って、僕は、塾に行く。それ以外何もしない。ツいてない日は予定通りのことができればいい。高望みなんてしちゃだめ。
 お目当てのCDを発見する。残り一枚。ツいてるのかツいてないのか。とにかく僕はそれを手に取って、レジで会計を済ませる。今日はたまたまポイント3倍デーらしくて、「ツいてる」なんて考えた自分がおかしくて、でもレジの店員さんには頭をぺこりと下げるだけ。


 下りのエレベーターを待ちつつニューシングルのコーナーを眺めていると、最近デビューしたばかりだというのにもうドラマの主題歌を任されているバンドの、そのドラマの主題歌が入ったCDが並んでいた。ちょうどそのバンドが気になっていたので、後ろでチンと鳴るのを無視してそのCDを視聴した。
 歌詞カードを見ながら聴いていると隣に女性が立った。僕が聴いてる曲のMVを見ている。僕より少し背の小さいその人は、陳列されたCDを一枚取って、興味深そうな顔でMVとCDを見比べていた。
 どこかで見た顔だな、なんて思って二度見したときだった。彼女と目が合った。一秒ぐらいして、
「え」
 二人の声が重なった。
「もしかして……とも君?」
 僕の名前を呼ぶ。
 いや、でも、そんなわけはないはずだ。確かに面影はあるというか僕の記憶とほとんど違いはないぐらいなんだけど、彼女は東京に行ってしまったはず、
「久しぶり! 覚えてる? 私だよ!」
 バシバシと僕の肩を叩く。立派に標準語を身につけていた。
 覚えていないわけがない。『思い出のひと』だ。
「……なんでここおるん?」
 ヘッドホンを外して尋ねる。
「こっちの友達に会いに来たの。解散したけど電車まで時間あるからつぶそうと思って」
「そうなん、でも、こんなとこで会うとは思ってなかったわ」
「私も思ってなかったよ。びっくりした」
「これ好きなん?」と彼女が手に持っているCDを指さす。
「うん。あのドラマ好きなんだよね。とも君も?」
「うん」
「なんか、懐かしいね」彼女がマフラーを巻きなおす。
「ずっと東京やもんなー」
「たまーに帰ってきてたんだけど、こっちの男友達と会うのは初めてかも」
「俺も、東京の女の子と喋ったのは初めてかも」
「すっかり標準語になっちゃった。もう大阪弁話せないかも」
「ちょっと前まで大阪弁やったのに」
「ちょっとって言っても、もう五年前だし、五年もあれば変わるよー。とも君はあんまり変わってないけど」彼女が親指を立てて、笑う。
「しのも、全然変わってないと思うけど」
「背も髪も伸びたし、標準語も使えますー」背伸びをして、僕の肩を軽く叩く。この癖はなおってないらしい。
 それからどちらも無言になってしまって、僕と彼女は延々流れるPVを見ている。
 二週目に差し掛かるところで、彼女が「もう電車の時間だし、行くね」と言った。
「あ、俺もそろそろ出る」
 二人でエレベーターを待った。
「とも君、受験生?」
「うん。しのは大学行かんの?」
「指定校推薦もらっちゃった」
「なに」
「そうじゃなかったら、遊んでられへんもん」
大阪弁なってる」
「あ。移ったね」
 店を出るまで二人は沈黙していた。ガヤガヤと人が行き交う道で、彼女は「またね」と笑って、僕も「またね」なんておどけるが、彼女は喧騒に紛れていく。

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