film.

だれも知らないまちへふたりで

いつまでも生きている俺

 

「うっ、うっ……」
「何がそんなに悲しんだい」

 男がスマートフォンを見て泣いている。俺からは見えない角度で何かを読んでいた。

 

「ワニが死んじまったんだよお……悲しいよなあ」

 ワニってなんだ? 家で飼ってるのか?

「それはお気の毒に、大切に育ててたんだろうな」
 この男にも、命を慈しむ心があるのか。

「ちげえよ、このワニだよ。ワニは飼ってない」

 と男は俺に画面を向ける。Twitterで話題のワニらしい。「100日目」とタイトルがついてる。
「絵がよく見えないから、もう少し近くで見せてくれないか」

「興味ねえだろ。100日後に死ぬワニも知らねえのかお前は」

 聞いたことはある。俺が見たときはまだ4日目とかで全然実感がなかったが、もうあれから96日も経ったのか。フィクションのワニの死ぬことが何がそんなに悲しんだろうか。しかもいつ死ぬかまで親切に教えてもらってるのに。

「ワニは健気に生きてたんだよ。バイト頑張ったり、恋愛したり、友人と飯食ったり。それに比べてお前は」

 男は立ち上がり、俺の目前まで近寄る。

 スキンヘッドで片目がない、体重100キロは超えているだろう筋肉質の男が、残っている片目から涙を流しているのがよく見えた。そして棍棒のような腕を振りかぶって俺の顔面を殴った。

 視界がチカチカする。衝撃で脳が揺れているのか、体はその場から動いていないはずなのに地面が斜めになっている。歯が抜けたのがわかる。そのあとすぐ血の味がする。その血と一緒に歯も吐き出す。

「お前は、人を騙したり殺したりだ。ワニとは違ってもういつ死んでもおかしくないな」

「人を騙したり殺したりも、俺の健気さだろう」

「うるせえ」

 ガツンと今度は逆方向から衝撃。

 男は俺の血のついた拳で涙を拭って、俺を睨みつけて言う。

「お前には人の心がねえのか」
 今まで散々俺を痛めつけておいて、何を言っているんだ。

「お前には言われたくない」 

「俺がお前を殴るのは、お前が何も吐かないからだろうが」

 ここに拘束されてからもうどれぐらい経ったかわからないが、俺は未だに何一つ情報を漏らしていない。男はこういう、俺みたいな人間を捕まえて何かを引き出すための暴力として雇われているが、あいにく俺には意味がない。
「何度も言っているが、俺は痛みを感じないんだよ。だからどれだけ殴っても、爪を剥いでも、言わないと決めたら言わないでいられるんだ」

 血がたくさん出ていて、集中力が切れているのはわかっている。それでも痛みはなく、自分がいつ死んでしまうかはわからない。

「そんな人間がいるかよ」

「いるんだよ。実際、俺は全然痛そうにしてないだろ」

 話ができる状態を維持できるギリギリまで拷問を受けているのにけろっとしている俺に男は困惑している。今まではなんとかなっていた方法が全く通用していないのだから当然だろう。この男には暴力しか手段がないのだ。

「いいから、吐け!」

 と、手を挙げて下ろす。殴っても無意味なことはわかっている。
「なあ、もう俺をここに監禁してからどれぐらい経ったんだ?」
 ワニみたいに俺もいつどうなるかわかればいいのにな。
 男は少し焦った様子でうるせえと大声を出す。おそらく俺から何かを聞き出すために男に課せられた期限は過ぎているのだろう。大股で部屋を出て、しばらくして戻ってきた。

「食え」

 ここに来てから17度目の食事を男が差し出す。洗っていないだろう皿に盛り付けられた、食べ残しの山だ。ほとんど骨の焼き魚や切れ端の肉、冷えて固まったライス。
 痛みはなくとも空腹は感じる。血の味しか感じないので何を食べているのかはどうでもよかった。それにしても、この調子だともうすぐ――。

 

 頭上で大きな爆発音がした。同時に爆風が吹き俺の食事は吹き飛ばされ、俺は椅子に縛られた状態でひっくり返る。煙が立ち、筋肉男の叫び声が響く。「何だお前ら!」

 応える声はなく代わりに銃声が鳴る。状況は見えないが、おそらく男が倒れる音がして、遠くの方から複数人の足音が聞こえる。音を聞きつけた組織の人間が駆けつけているのだろう。

「待たせたな」

 俺を起こしながら言う。仲間が来た。

「おお、お前、相変わらずひどいな。痛くないのか?」

「そんなことより、腹が減ったよ」

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 俺は数週間に渡る監禁の末、仲間に救出され、その後は諸々殴られたり剥がされたりした部位の治療を受けている。

「なあ、100日後に死ぬワニ読んだか?」

 そういえば、とあの男を思い出す。あいつもワニのすぐあとに死ぬとは思ってなかっただろうな。

「俺を拷問してた男がそれの最終回を読んで泣いてたよ」

「なんだそれ。お前を痛めつけておいてよく泣けるな」と見舞いが笑う。「でもあれ、特別面白いわけじゃないのに気になって仕方ないんだよ。俺達みたいな、いつ死んでもおかしくない人間にとって、対極だからかな」

「その辺を歩いている普通の人間だっていつ死んでもおかしくないだろ」

「たしかにそうだ」また笑う。「お前やっぱ変な奴だな」

「俺はまともだよ」痛みを感じないだけだ。

 あんなことがあった後だというのに、俺は死を遠くに見ている。いつ死んでもおかしくないのに、ずっと死なないと信じている。もしかしたら、”死ぬほど痛い”みたいな経験をしたら変わるのかもしれない。

 でも俺は槍が刺さっても腕を切り落とされても痛くない。失血や壊死がなければ日常生活だって送れてしまうのだ。考えてみれば、どんな人間も痛みのない日常を過ごしている。だから、あるいは、それでも、

「俺もお前も、いつまでも生きているような気がする」