人と比べるなは無理
人生に、
・全部がうまくいくとき
・何もうまくいかないとき
・どっちでもない時
があるとして、その比率が大体
1 : 4 : 5
ぐらいな気がする。
これはうまくいってる時に考えると違う比率になっているかもしれないです。
でも人生って大体、どっちでもない時が半分だなって思います。
顔がいいやつとか金を持ってるやつは、この何もうまくいかない時や、
どっちでもない時を無理やり「うまくいっている時」に持っていく力があって、
それゆえの自己肯定感の高さから、また何かをうまくできるようになる、
みたいな良いサイクルが回ってる、はず。
これは悪口だし偏見なんですが、
胸焼けしそうな甘ったるい文、自己意識を全面に押し出した洒落臭い文、
こういうのをかける人間はもれなく誰かしらから全肯定されて生きています。
でも逆もそうなんじゃないかなと思ってて、
自己肯定感が異常に低い人間も、
いろんなことを「うまくいってない」に読み替える力がある。
ここは悪口じゃないことを前提に読んでほしいんですが、
「自分に自信がない」ということをいろんな言い方で言える、
説明できる、
インターネットで発表できるぐらいの度胸があるのは、
中々の自己理解をしていないと無理なんじゃないかと、僕は感じています。
これを読んでくれているあなたがどうかは分かりませんが、
もし自信のなさをある程度説明してきたのなら、
自分のことをわかっているという自信は持ってもいいんじゃないでしょうか。
世の中には自分のことを説明できない人が多分いっぱいいるのですごいことだと思います。
僕みたいな中途半端な人間は、
自分にできることが何となくわかっているけど、それをもっとうまくできる人がいるのも知っていて、
でもそのまま負けるのも癪だから後にも引きにくいが、
前にも進みにくい(負けに直面したくないから)という硬直状態になってしまいます。
これも一種の自己理解なのかもしれませんね。
皆さんはどれに当てはまりますか。
まあみんながどれに当てはまるとかはどうでもいいんですが、
最近世の中にはいろんな人がいるということをみんながわかってきて、
炎上したり称賛されたりしていると思います。
名前がついたコンプレックスを持っている人がいて、
このコンプレックスを発表し、方々からの共感や同意を獲得するのを見かけます。
それ自体は良いことなのでどんどん発表してほしいんですが、
問題は受け止める方で、
いろんな繊細さを全部肯定してしまうと、絶対どこかで矛盾してしまう気がします。
肯定している人たちに悪気はないけれど、
かつて「男が働き女が家にいる」という価値観を肯定していた人たちも悪気はなかったはずです。
新しくて心地良さそうな価値観やコミュニティに無邪気に飛びついたり、「とにかく肯定する」態度は、何とはいえないけど何かしらの問題を抱えていそうな気がしています。
すみません、考えてみればあなたたちが矛盾しているかどうかも別にどうでも良いですね。
僕が取れるスタンスは
「どっちでもない」みたいな、
ただそれをあるものとして見るだけというものかもしれないです。
何が言いたいかっていうと、
「人と比べるな」は無理ってことです。