人から書かされる文章アレルギー
人から書かされる文章はクソ
はてなブログ、マークダウンで書けるんかい。
起承転結が特になくても書いてもいいのが、自分だけで書いている文章のいいところだ。
人に書かされた文章には、見出しから考えろとか読者を想定しろとか、挙句の果てには本当に思っていることを書いていないなど、ちぐはぐな指摘が夏場の琵琶湖の羽虫ぐらいあって、完成した頃にはインターネットに転がっている幾千のしょうもないそれと遜色がない記事になっている。
時々、僕のブログをすごく褒めてくれる人がいて、 そういう人がいるとよし書こうとなるんだけど、 僕のブログを好きな人がずっと僕と交友関係にあることはほとんどなく、 その人に読んでもらいたくて書いた記事は誰にも読まれない手紙になる。
それでも気が向いたときにこうやって投稿するのは、 誰に向けたいわけでもないがすべての人間に聞いてほしい何かがあるからだと思う。
2年前ぐらいに函館で食べたホッケ
全部を知っているわけではない
人は年齢を重ねるといろんなことを知っていくが、同じぐらい知らないことも増えていく。
知らないことのどこかに大きな希望があるとしたら、知っていることだけを考えて絶望したり(大人はすぐに絶望する)、劣っていると考えたり、何者でもないと悩むのはもはや傲慢ですらある。
そう考えるとこんな風に説教臭い文章を書くのは、自分だけが全部を知っているようで偉そうかもしれない。まあ僕は全部を知っているので書いてもいいのですが……。
ここまで読んだみんなの感想
- しゃらくさい事を言うな
- こんなことみんな知っている
- 誰かが言っていることの焼き直しだろ
- おもんね
- 二度とブログを投稿するな
架空の感想を書くことでメタっぽい何かができると思ったけど全然でした。
ここまでが本文であとは蛇足です。
最近の話
在宅勤務が始まって1年弱が過ぎたけれど、とにかく自律神経が壊れてしまって、真っ昼間に突然眠くなってしまう。
陽の光をちゃんと浴びて通勤してたときには道中で目が覚めてたけど、今はベッドからデスクの5歩で仕事ができるんだから、わざわざ外に出る理由がない。夜中にapexをして日が昇る頃に寝て、始業時間ギリギリに起きて、しょうもないMTGをして、出口が見えない仕事量から逃避したくてまたapexを起動する。
僕の会社の僕以外のみんなは大変なのにちゃんと全部こなしていて、すごいと思う。
圧倒的に成功体験を積んできた人間と、基本的に失敗や逃避でできてきた人間では、元々の考え方が違うということがこの1年ぐらいでよくわかった。
あと、誰も人の話なんて聞いていないということもわかった。
将来の話
いろいろネガティブなことを書いてるけど、僕は僕自身がそんなに不幸だとは思っておらず、むしろ運の良さだけでここまでやれていると思う。
周りにいい人を集めるのだけは上手らしく、俺が生きやすいように世の中が成り立っている錯覚をする。
今僕を無視している人たちもいずれ僕が大成すれば旧知の友のようにハイタッチを求めてくるんだろうけど、そのころには僕はもう僕を無視している人たちにあんまり興味がない。
30までに自分が一番勝てる分野を見つけて一山築いたら、40歳ぐらいで一軒家を建てて、キッチンに鉄板焼き屋ぐらいでかい鉄板を置きたい。
わをん
ここまで読んだ物好きには、何かいいことがあるといいなと思います。
最近ハマってるのは地元に戻って一人暮らしする想像をしながら物件を探すことです。 東京で払っている家賃で倍ぐらい広い部屋に住めるので本気で引っ越したいぐらいです。
何かご不明点がございましたらお気軽にご連絡ください。 今後ともよろしくお願いいたします。