film.

だれも知らないまちへふたりで

痛みを越える

手首を切ることでしか得ることができない快があるのかと思い、カッターの刃を当ててみたが、それを引くことはなく机にしまった。僕はその体験をしたことはないが、痛みを、光景を想像できる。痛みや腕を伝う血に怯えカッターナイフをしまったのだ。

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リストカットをする少女たちは勇気がある、と思った。
痛みを感じることが確定している未来に向かってそれでもなお意思を持って進むことができるのだから。そしてさらに勇気のある少女たちはインターネットにその光景をアップロードする。彼女らは完全に理性のもとでその行動を取っている、はずだ。

しかし、それによって救われることがある。
今日、映画を見に行ったとき、前に並んでいた女性の腕に無数の傷跡がついていた。それは横に細長く、肘のあたりまで続いていた。彼女はそれほどまで自分を傷つける行為を成し遂げられるぐらいの悲しい理由があったのだろうが、いまこの場所では「映画を見る」という未来に胸を躍らせている。

個人的にはたとえそれが全く知らない人であっても、見てしまうと痛みを想像してしまうし、悲しくなってしまうから、傷つけることで救われるような状況は回避してほしいと思っている。
けれど、痛みが待ち構えていると知っていてなお進まなければならないことは多々あるのではないか。彼女たちは自身を傷つけることしか進む方法を知らなったのだと考えられる。苦しみに見合う程度の見返りが得られたのだろうか。

彼女の見る映画が彼女にとって楽しいものでありますように。なむなむ。