一番“ふつう”のことば
書きたいときに書くのが一番いいですね。
みなさんには「伝えたいこと」がありますか?
伝えたいことを伝えるとき、普通人はことばを用います。
このことばというのが非常にやっかいで、言いたいことを言っているはずなのに、伝えたいことを100%伝えることができません。
これにはいくつか原因があると思います。
1つ目に、そもそも言いたいことを言うための語彙を持っていないことが挙げられます。これはシンプルな理由で、「好き」を伝えるときに好きということばを知らなければそれを伝えることができません。もちろん「好き」を使わずに「好き」と伝える方法はありますが、ここではそもそも「“好き”の概念がどんなものかわからない」ということで理解してください。
かつ丼を食べたことをない人がかつ丼の味を説明できないみたいなものですね。
2つ目は、一般的に通用しているような適切な表現を使っていないことが考えられます。かつて「ツンデレ」ということばが生まれる以前のツンデレな人たちがこれに当てはまります。アスカやルイズやハルヒが生まれるもっと前にツンデレだった人たちはほとんどの人に誤解されながら生きていたわけですね。
「すきな女の子にイタズラしてしまう男子」もこれに当てはまりそうです。
3つ目が今日のテーマです。
1つ目、2つ目とも被ってくると思うのですが、ことばというのは『伝えた』通りではなくて、『伝わった』通りにしか伝わらないから、ということです。
考えてみれば当たり前のことですが、どれだけ自分のイメージを言語化しても、受け取ったことばに対して最終的なジャッジをするのは受け手なのです。
受け手の感受性によってことばの意味は崩され、再構築されます。
ことばを使った活動をする人たちはむしろこの原理を利用して、より婉曲な表現をするなどで受け手の想像力を駆り立てています。
日常会話ではそうはいきません。なので喧嘩になったり変に捉えられてしまったりします。
結論、どんなことばも100%で全く同じイメージを共有させることは不可能です。
伝えるときにそこに意味+アルファを乗せる、あるいは乗ってしまう以上、不可能なのです。
どんなに装飾しても(逆にシンプルでも)、表現力が高くても、思った通り伝えることは無理だと、僕は思っています。
でももし、純粋に意味だけを切り取ったことばがあったら?
みんなが全く同じイメージを浮かべることばがあったら。
そのことばはきっとことばの最終形で、たぶんこの世で唯一の「ふつうのことば」です。
すごいことば、悪いことばはたくさんあるけれど、ふつうのことばにはまだ出会ったことがない。
その意味でことばには無限の可能性があると言えますね。
僕が何かを書くのは、ふつうのことばを探しているから、というのもあるかもしれないとふと思いました。