film.

だれも知らないまちへふたりで

ことばの限界についての一言

4月から社会人を初めてもう少しで1か月が経とうしていて、5月には大型連休が待ち構えている。
俺は未だ研修中で、毎朝起きて満員電車に揺られて出勤してなんとなく社会に溶け込んでいる。帰り道に近くに見える東京スカイツリーもすでに見飽きてしまった。
けれど自分事として実感している社会人の『この感じ』にまだ俺は慣れていない。
とはいえ日本だし、周りには日本人しかいないし、学生のころ過ごしていたのと少し変わっただけだ。すぐになじんでしまう。

同時に、俺は『あの感じ』を思い出すこともある。
あの感じというのは、東南アジアにいたころのあの感じだ。
あの空気、あの人々、あの朝、あの町、あの市場…。
時々思い出して、日本とは比べ物にならないぐらいのラッシュや朝の渋滞さえも懐かしく思えてくるのだから思い出が美化されるというのは本当のことらしい。
ことばを尽くしてあの生活を説明しても、俺が体験した『あの感じ』は誰にも伝わらない。
これは非常に悲しいことで、俺は『あの感じ』こそが海外に行くことで得られる最も重要な体験だと思っているのにこれを誰にも伝えることができないのだから。

というか、海外に行くこと以外にもみんなそれぞれ『あの感じ』『この感じ』を持っているはずで、誰もそれを説明できたことがなく、大昔からこういうことを考えている人たちのことを哲学者と呼ぶのかもしれない。

俺はこの誰もそれを説明できたことがないということに対して抱いている『この感じ』を説明したいのに、またしてもことばがなく、今日はこのあたりでブログを終えて寝るし眠っているときの感じも説明できない、眠い。

いま何をするべきか

こんばんは。
このブログも月に一回更新すればいい方になってしまい、俺はこうしていくどとなく何かをやめてきた。

そしてつい先日、学生という身分すらも辞退してしまった。
小学生から数えればかれこれ17,8年の身分もこんなにあっさり終わってしまうものかと、学生証と引き換えに渡される卒業証書とほとんど事務的に添えられた「ご卒業おめでとうございます」のことばを聞いて思う。
さっきまで学長がお国を批判する内容のお話をしていた舞台上には、何列かに長机が並べられ、効率よく卒業証書を渡せるよう各列の上には学科ごとに分けられて学籍番号が掲げられていた。それだけが無機質に示されていて、該当する学生はそこへ迎って我先にと卒業証書と記念品のふくさを手にして嬉しそうに写真を撮っている。

俺はと言えば朝5時に起きて東京から新幹線で会場へ向かったせいか、卒業式が終わることにはもう元気もそれほどなく友達や後輩を見つける前に一人で会場を後にしてしまった。どうせ後ほど飲み会があるのだ、それに俺は休学していて同級生など片手で数えるほどしかいない。
こうして俺の最後の卒業式はあっけなく幕を閉じた。バスに乗り卒業祝賀会だか記念パーティだかの会場へ向かい改めて見知った連中と顔を合わせるころには卒業感など消え失せていた。
その会の最後に行われた卒業生と先生方500人あまりの三本締めもてんでバラバラで、本当に俺たちは卒業していくのかと疑問だ。それで解散かと思えば体育会の人間が急に円になれと言い出し、何やら役職を務めていたであろう学生がその円陣の真ん中でスラスラと口上を叫び出した。何を言っていたのかは全くわからなかったが、体育会ではおなじみらしく、サッカー部や野球部やラグビーアメフトなんやかんやの奴らは楽しそうにはやし立て、途中あいの手をいれていた。
俺は何もわからないままそれを眺め、それが終わったことを確認してすぐ会場を後にした。

そのあとのサークルでの卒業コンパはそれなりに楽しく、いい気分で酒を飲み在学生たちに大いに説教を振る舞い、二次会を終電で途中退室した。ここについては特に何も言うことはない。
次の日の友人との麻雀では最後の半荘で役満である四暗刻をあがった。卒業式の後はいいことばかりだった。

ぐだぐだと書いてはみたが、俺はそんなに悲しんではいないらしいということがわかった。
かといって喜ばしいわけでもなく、ただ4月1日を待つばかりだ。
明日から俺はいわゆる社会人として労働が始まるが、そんな実感などなく、もっと言えば今まで学生だった実感すらない。
俺は昔から、俺がいま何をするべきかがあんまりわかっていないまま生きてきたような気がする。
受験だから何を、卒業するから何をするとか、就職にあたって東京に行くから何をするとか、あんまり深く考えた記憶がない。舐めているとも言える。
それでもなんとかなったのだから、卒業翌日の麻雀のように最後にどデカイ手をアガるようなもので、最後に+なら問題ないだろうとも考えている。





















本当にオチがないまま終わってしまった。卒業について書いていればこみ上げてくるだろうと高をくくっていたが、ないものはなかった。
ないものはない、これが今回の教訓。

鼻通りがよくなった男

こんにちは。
なんと、2016年に入り初の更新です。僕は何をしていたのか?
そんなことはどうでもいいのですが、最近花粉が徐々に舞い始めているように思います。
僕はほぼすべての鼻や目にくるアレルゲンに反応してしまう超敏感体質なことが先日やっと判明しました。
ちゃんと薬を処方してもらうと、かなり症状が抑えられるので気になる方は一度検査してもらってみてはいかがでしょう。

昨日の話ですが、花粉か何かでちょっと鼻が詰まっていたので、何か鼻通りのよくなるものを買おうとコンビニへ行きました。
いつもなら飴やガムを買うのですが、昨日は気分を変えてほとんどかったことのないフリスクを買ってみました。




コンビニを出て一粒食べてみたところ、思っていた5倍の爽快感でかなりびっくりしました。
かなり鼻の通りがよくなって、急に冷気を吸い込んだ僕の鼻がびっくりして凍ってしまったのではないかと心配になりましたが、そんなことはなく安心しました。
一粒でこうなるんだから、二粒食べるとどうなってしまうのか…。
恐る恐るもう一粒食べると、先ほどと同じ爽快感をまた、得ることができました。こんなに鼻がスースーするならもう薬いらないんじゃないか?とまで思い始めている自分がいました。フリスク、おそろしい。

しかし僕の好奇心はとどまるところをしらず、今度は一気に三粒食べてみようと意気込んでいます。
きっととんでもないことになるはずだ…。こんな人通りの多いところで醜態をさらしてしまうかもしれない……。
僕はもう止まることはできない。フリスクの効力が切れた鼻がまた新しいフリスクを求めているのだから。
あの元野球選手もこんな気持ちだったのだろうか。やめなければならないとはわかっている。しかし、体が震え、脳は快感を求め、手のひらに乗る小さな錠剤から目を離せなくなってしまうのだ。

気がつけば三粒を口にしている僕がいました。
たいへんだ!どうなってしまうのか。
……特に何も起きませんでした。
それは不自然なほどに無変化でした。
さっき一粒ずつ食べたときの爽快感すらなかったのです。もう慣れてしまっただけかと思い、友人とご飯を食べる約束があった僕はフリスクをコートの内ポケットにしまい、集合場所へ向かいました。

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「今日なんか声大きくない?」
大衆居酒屋で対面に座る友人が僕に言いました。
「そう?」
と答えたものの、確かに僕も妙な違和感を抱いてはいました。後から店に入ってきた別の友人がキョロキョロしていたので名前を呼ぶと、こんなに騒がし店内なのに一発で気づいてもらえました。
それだけならたまたまで済んだ話なのですが、店員を呼ぶときも、友人が呼んでも中々気づかないのに僕が呼ぶとすぐに気づくのです。
「あー、わかる」と別の友人。「大きいというより、通るよね」
通る。
その言葉に思い当たることが一つありました。
僕が今日とった特殊な行動、フリスクを食べたこと。あれが何かのきっかけになっているのではないだろうか?
フリスクを一粒食べると、鼻が通る。そして、三粒一気に食べると、次は声が通るようになったのではないか。
そう考えれば、三粒食べたときのあの不自然さは説明がつく。
フリスクはさまざまな「通り」をよくする食べ物だったのだ!

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友人たちと解散して、家に帰ってきた僕はフリスク一気に五粒食べました。
そうすると突然部屋が寒くなってきて、どうやら風の通りがよくなったようでした。自分の身体の外にも影響を及ぼすのでしょうか。
部屋が寒いのは嫌だったのですが、朝起きたときにはもとに戻っていました。ずっと続くわけではないようですね。

この先はどうなっているんだろう、と今日ずっと僕は気になって仕方がありませんでした。
とうとうその衝動に耐え切れず、夕方に十粒食べてしまいました。
食べた瞬間には何も起こりませんでした。また別の何かの通りがよくなっているのだろうと思い、お腹が空いたので夕食を作りにリビングにおりました。
食材がちょうど余っていたので、焼き飯でもつくろうとコンロを付けた瞬間、そこには火柱が立っていました。火柱はあっというまに天井に到達し、家を燃やします。
何が起きているのかわかりませんでした。
数秒の硬直ののち、僕はあることに気がつきます。

火の通り……?

あまりにもよくなりすぎていてわからなかったのですが、フリスク十粒は火の通りをよくするようでした。
それも、焦げるなどのかわいいものではなく、食材食器を貫き火柱が立つレベルで。
けれど、判明したところでもうどうしようもありませんでした。僕はただ燃えていく家を見ていることしかできませんでした。
消化活動が終わり、柱が丸見えになった家を見て僕は思うのでした。

 

 

 

あのとき、フリスク食べていなければ……。

 



みなさんもフリスクの食べ過ぎには注意してください。
それでは。