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だれも知らないまちへふたりで

僕のラ・ラ・ランド

新しいパソコンがほしい。と思って500円貯金を始めました。10万円たまったらこれを資金にしてマックブックを買いたいですね。
今使っているパソコンはもう5年ぐらいの付き合いになるんですが、当時は最新モデルだったウルトラブックももう当たり前のものになりつつありますね。
このパソコンにはかなり満足しているのですが、もう動作が重すぎていつ動かなくなるのかが心配でたまりません。
ステッカーとかも貼ってイケイケの感じ出してますが、外に持ち運ぶこともすっかりなくなってしまったので自己満足で終わってますね。
そういえばこのパソコンを買ったとき、隣にもう4,5万高い最新のレッツノートがあって、びっくりするぐらい軽くて思わず買いそうになったんですが、当時大学2年とかの僕にはそんな余裕もなく、ギリギリの貯金でいまのパソコンを買いました。
それから3年たって、会社から入社時最新モデルのレッツノートが支給されたんだから、めぐってかなうこともあるんだなと思いました。

 

めぐってかなうこともある。
逆もある。
中途半端なものもきっとあるでしょう。
それが人生なんだから―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みたいな、気持ち悪い締め方はしませんが、「めぐる」というのはラ・ラ・ランドの大きなテーマだと思います。
当たり前だけど人生は行動の連続で、とった行動ととらなかった行動があります。
とった行動が巡り巡って自分のどこかいつかの状態に影響を与えているのかもしれません。
でもそんなの後になってみないとわかりません。
僕がDynabookじゃなくてLet's Noteを買ってたら今の会社には入社していなかった、とか、そんなのあり得ないでしょみたいな想像だってできちゃうから、その瞬間とる行動に、“あり得るかもしれない”未来を考慮することなんてほとんどあり得ないんですよね。
だから僕たちはめぐらなかったことに対して強く言及することがありません。無限の分岐にとやかく言っても仕方ないからです。
「チャンスがめぐってきた」ときは強く言及します。強く想像します。このチャンスがどうめぐるのかをあれこれ考える。
でも、「めぐらなかった」ことはわりとすぐ忘れちゃえるし、割り切れちゃう。「チャンスに恵まれなかったんだね」と、「じゃあ次にいこう」と『そのチャンスがめぐってきたときに得られたもの』を考えないようにします。
なかったものだから仕方ないんだと。

ごちゃごちゃと同じことを言っているような気がしますが、僕が感じたのは、「ラ・ラ・ランドは“めぐり合わせない”物語だった」ということでした。
正確に言うと、9割9分はめぐり合わせの物語でした。
クライマックスの、とにかくあのシーン以降が本当にエゲツない。
だって、観客の誰もあんなこと考えてなんかないんですから。
「ああ、あの食事のときにうまくやってれば違う未来もあっただろうな」という程度でしょう。
あのシーンがなかったら二人の意味深な笑みで、なんとなく終わっていただけです。普通の映画だと思います。

 

でも、あのシーンが観客全員を全く同じ分岐に立たせました。
しかも一番強烈な分岐。
「あの未来には巡り合わなかった」ということが知れ渡ってしまいます。

 

そして戻ってきてミアが立ち去り、二人の視線が合い、微笑んで終わる。
このときセブとミアは「これもめぐり合わせね」と(たぶん)前に進んでいます。二人はそれぞれ夢を叶えて、交わらないにせよ幸せなな今・未来を見ることができているからです。
逆に、観客全員は「めぐり合わせなかった」と鮮明に植え付けられています。
どこかでずれてしまった分岐によって、「めぐっていたはずの未来がめぐり合わないようになってしまった」とわかってしまっている。

 

そのまま映画は終わりますが、二人の人生は二人にとっては良い方向に進んでいくに違いないでしょう。
観客はそれをわかっていながら、あのシーンがこびりついて離れない。
この状態を見た人がどう受け止めるかというのはもう僕には何も言えないことですが、
僕の場合を言うと、エンドロールが流れている間、急激に今までの「めぐらなかったこと」が押し寄せてきました。

 

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結果わかったのはやっぱりめぐらなかったことに思いを馳せても仕方がないということでした。
それらは想像しえない大量の分岐でしかないからです。
むしろ、今ここにあるめぐり合わせが「どうめぐっていくか」を考えるべきなのでした。
そんなに大仰なものじゃないと思います。絶対逃せないとか、無駄な時間を過ごすとか、そういうことはありません。

 

あの二人のように微笑むことのできるよう、自分のめぐり合わせを噛みしめることが大事なのだと思いました。
僕のラ・ラ・ランドでした。