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だれも知らないまちへふたりで

いま何をするべきか

こんばんは。
このブログも月に一回更新すればいい方になってしまい、俺はこうしていくどとなく何かをやめてきた。

そしてつい先日、学生という身分すらも辞退してしまった。
小学生から数えればかれこれ17,8年の身分もこんなにあっさり終わってしまうものかと、学生証と引き換えに渡される卒業証書とほとんど事務的に添えられた「ご卒業おめでとうございます」のことばを聞いて思う。
さっきまで学長がお国を批判する内容のお話をしていた舞台上には、何列かに長机が並べられ、効率よく卒業証書を渡せるよう各列の上には学科ごとに分けられて学籍番号が掲げられていた。それだけが無機質に示されていて、該当する学生はそこへ迎って我先にと卒業証書と記念品のふくさを手にして嬉しそうに写真を撮っている。

俺はと言えば朝5時に起きて東京から新幹線で会場へ向かったせいか、卒業式が終わることにはもう元気もそれほどなく友達や後輩を見つける前に一人で会場を後にしてしまった。どうせ後ほど飲み会があるのだ、それに俺は休学していて同級生など片手で数えるほどしかいない。
こうして俺の最後の卒業式はあっけなく幕を閉じた。バスに乗り卒業祝賀会だか記念パーティだかの会場へ向かい改めて見知った連中と顔を合わせるころには卒業感など消え失せていた。
その会の最後に行われた卒業生と先生方500人あまりの三本締めもてんでバラバラで、本当に俺たちは卒業していくのかと疑問だ。それで解散かと思えば体育会の人間が急に円になれと言い出し、何やら役職を務めていたであろう学生がその円陣の真ん中でスラスラと口上を叫び出した。何を言っていたのかは全くわからなかったが、体育会ではおなじみらしく、サッカー部や野球部やラグビーアメフトなんやかんやの奴らは楽しそうにはやし立て、途中あいの手をいれていた。
俺は何もわからないままそれを眺め、それが終わったことを確認してすぐ会場を後にした。

そのあとのサークルでの卒業コンパはそれなりに楽しく、いい気分で酒を飲み在学生たちに大いに説教を振る舞い、二次会を終電で途中退室した。ここについては特に何も言うことはない。
次の日の友人との麻雀では最後の半荘で役満である四暗刻をあがった。卒業式の後はいいことばかりだった。

ぐだぐだと書いてはみたが、俺はそんなに悲しんではいないらしいということがわかった。
かといって喜ばしいわけでもなく、ただ4月1日を待つばかりだ。
明日から俺はいわゆる社会人として労働が始まるが、そんな実感などなく、もっと言えば今まで学生だった実感すらない。
俺は昔から、俺がいま何をするべきかがあんまりわかっていないまま生きてきたような気がする。
受験だから何を、卒業するから何をするとか、就職にあたって東京に行くから何をするとか、あんまり深く考えた記憶がない。舐めているとも言える。
それでもなんとかなったのだから、卒業翌日の麻雀のように最後にどデカイ手をアガるようなもので、最後に+なら問題ないだろうとも考えている。





















本当にオチがないまま終わってしまった。卒業について書いていればこみ上げてくるだろうと高をくくっていたが、ないものはなかった。
ないものはない、これが今回の教訓。