こんな街抜け出してしまおうよ

だれも知らないまちへふたりで

※ただし正直者は除く。

 嘘はついちゃだめだよって言われてから僕は嘘をつかないように生きてきたのだけれど、ある日たろうちゃんに言われた。
「嘘をついちゃいけないだなんて、嘘だよ」って。
「嘘ついてもいいの?」って僕が聞いたら、
「構わないよ。どんどんつけばいい」
「それは本当?」僕が聞くとたろうちゃんはちょっとだけ困った顔になって、
「まあ、嘘ではないよ」と笑った。
 次の日から僕は嘘をつくことに努めてみた。でも長年嘘をついていなかった僕にいまさら嘘が扱えるわけもなく、話せど話せど口から出るのは本当のこと。ある人は「すてきだね」と笑って、ある人は「気つかえよ」と僕の胸倉をつかむ。首を締め上げられながらいつも僕は思うのだ、ああ、嘘がつけたらなあ。
 どうしても嘘がつけなかったので、僕はたろうちゃんに言った。
「嘘、つけない」と。
 たろうちゃんはホットミルクを飲みながら「困ったねえ」とのんびり言う。
「そうすれば嘘をつけるの?」
「思ったことと反対のことを言えばいいよ」
「それはほんとに嘘なの?」
「まあ、嘘ではないよ」と笑った。

 でもそれはもうずーっと昔のことだ。
 僕たちは卒業して各々何かしらの進路を見つけて運がいい人は伴侶も見つけて、そうしてたまに仲の良かった数人で集まって、夜通し飲んだりする。
 ある日、その席でたろうちゃんが、
「嘘をつくやつは、死ね!」
 居酒屋のフロア全部に響き渡るような声で、生ビール(中)を飲みながら叫んだ。
 ええ、と僕は持っていた箸とその箸でつかんでいた軟骨をぽろっと落とした。隣のさきこちゃんが慌てて拾ってくれたけど、箸や軟骨なんてそれこそ箸や軟骨ぐらいどうでもいいのだ。
 右斜め前に座っているたろうちゃんの顔は赤くて、死ねって叫んだあとは息を切らしながらカルパッチョをむさぼっていた。「落ち着け落ち着け」って周りの制止もなんのその、たろうちゃんはひたすらカルパッチョを口に運んでいた。
 どうやらたろうちゃんは彼女と破局したらしい。詳しいことはわからなかったけど、浮気だとか子供だとかいう単語が飛び交っていた。

 そんなたろうちゃんは完全にお酒に飲まれていた。家が近い僕がたろうちゃんを送り届けることになるのは予想できていて、いつもなら面倒くさいなあと思うけれど、今日はちょうど都合がよかった。
「ねえたろうちゃん」
「なあんだよ」千鳥足のお手本のような歩き方でたろうちゃんが答える。
「嘘ついちゃだめなの?」
「あ?」こわい声。たろうちゃんは酔うといつもこんな低くて通る声を出す。
「さっき、嘘をつくやつは死ねって」転びそうになるたろうちゃんの腕を支える。
「そうだよ。嘘つきは死ねばいい」
「でもずっと前に、たろうちゃん、嘘をついてはいけないなんて嘘だって言ったよ」
「そんなこと言ったっけなあ」ふらふら。
 でもたろうちゃんの記憶にはなくても、僕が覚えていて、僕が嘘をつけないということをたろうちゃんは知ってるから、たろうちゃんは忘れたふりをしているだけなのだ。
「言ったよ」
「じゃあそれは嘘だ」また忘れたふりをする。嘘ではないって言ったよ。
「ほんとに嘘?」と聞くと、たろうちゃんは思い出したように、ちょっとだけ困った顔をして、
「まあ、嘘ではないよ」と笑うのだった。

「でもね、俺たちのいる場所は嘘まみれだよ」たろうちゃんが真剣な声で言った。
「それはとっても悲しいことだね」
「どうだろう、だって、嘘をついちゃいけないなんて嘘だよ」
「でも嘘吐きは死ぬんでしょ?」
 またたろうちゃんは困った顔で、低くて通る声で、
「死ねばいいんだよ」絶対酔ってるふりだった。「もうね、人類が滅びれば解決だよ」
「嘘吐き以外も死んじゃうじゃん」
「大丈夫だよ、この世界には嘘吐きしかいない」何かっこつけてんの。
 それから少し、黙って夜風を感じて歩く。人通りの少ない道で、たろうちゃんが靴を擦る音だけが聞こえる。
「まあでも、正直者は生きてもいいと思う」わりと真剣な顔と声。
「どうしたの突然」
「嘘吐きだらけの場所でいつもバカを見るのは正直者だからね、最後ぐらい助けてあげてもいいんじゃないかなって」いつしか千鳥足も治っていて、背筋も伸びていた。
「偉そうだね」
 たろうちゃんは僕の言葉を無視して、
「人類は滅びろ、ただし正直者は除く」と言って一人で笑った。「だから、ゆうきちゃんは死なない」僕を見て言った。
「ほんとに?」
「まあ、嘘ではないよ」