こんな街抜け出してしまおうよ

だれも知らないまちへふたりで

好きなことを書くということ。

最初の記事を書いてみましょうとうるさいので、少しだけ書きます。

基本的にブログは長続きしないので、気づけば放置ということもありますが、まあその気軽さも含めてブログということで。

 

好きなことを書く/言うことについて書きます。

 

ただ好きなことだけを書いたり言ったりすることって、ふつうはできないですよね。

僕は基本的にネットで何かを言ったり書いたりするときはあんまり周りのこと気にしないで好きなことを言ったり書いたりしているんですけど、それはあんまりよくないことなんだなあってわりと最近になって気づきました。最近って言っても4、5年前とかですけど。

まあ、当たり前のことなんですよね。インターネットを使っているのは生きている人なんだから、何かを受け取ることで悲しんだり怒ったりすることはもちろんある。それは現実の世界となんら変わりがない。ただ僕が勘違いしていたのは、僕が何かを発した瞬間、目の前に対象がいないということで、それは「見なかったこと」を選択できる=嫌なら見なければいいしそうすべきだと考えていたことです。10年前ぐらいまでならそれも許されていたのかもしれません。

荒らしはスルーしましょう、みたいなw

インターネットでイライラしたり悲しんだりして嫌な気持ちになるのは損(だし、ダサい)ですよっていう暗黙の了解があって、だからそういう書き込みには反応しないし見なかったことにしてきた。

どの瞬間からはわからないですけど(僕の成長や触れ合う人の増加かもしれないしインターネット人口の増加やその技術の発展によるインターネットの社会的な位置づけの変化かもしれない)、上で書いたような暗黙の了解が失われてしまった結果、好きなことだけを言うということができなくなったんだと思います。それほどにインターネットやそれを通じて誰かとつながるツールが生活と密接に結びついてしまったし、僕の感受性は高まってしまった。

ちなみにこの「好きなことを書く/言う」っていうのは好きなこと”について”書く/言うんじゃなくて、自分の思ったことをすきなだけ書く/言うってことです。たとえば、嫌いなものをなぜ嫌いなのかと言うのも「好きなことを言う」ってことです。なにをいまさら確認するんだって話ですが、これができなくなってしまった話をしています。現実でもありますよね、本当はそう思ってないけど場に合わせてそう言っておこう、みたいなこと。それがネット上のコミュニケーションにも現れている。ツイッターとかでよく見かけます。

 ただ、ネットにも何も気にせずに好きなことを言ってる人はたくさんいますし、それが許されたり認められたりしていることも多々あります。好きなことを言う/書くことが容認されている場所もあります。

僕みたいな人はたぶんこの状態にかなり苦しめられています。思ったことをストレートに言う/書くことは、むしろ形として残るネットの方が難しくなってきているような気もします。(だからツイッターのアカウントがたくさんある)

 

ここまで書いて、脱線しすぎて結論にしようとしていたところを忘れてしまったので無理やり締めくくると、現実ぐらいネットがクソになってきたってことです。