film.

だれも知らないまちへふたりで

The last man

・The last man

「これ、目にいいんだって」
 昼休み、食堂で食事中の私の隣に座った近藤が差し出したのは一枚のDVDだ。ジャケットには海を背に仁王立ちをして いる外国人風の男の風景が載っていて、目に良さそうには見えない。タイトルは「The last man」
「目にいいって、どういうこと?」
「視力が回復するってこと」
 近藤は半分冗談のような口調だった。彼も視力が悪く、メガネをかけているがこれを持っているということはこのDVDを見たのだろうか。
「もう見たの?」
「すでに5回は見てるね。まだ実感はしていないけれど、インターネットで調べたところ10回を越えたあたりから実感するぐらいに目がよくなっているらしい」
 君にも試してみてほしいから、コピーしたのをあげるよとのことだった。
 私はかなり視力が低く、人から見れば不自然なぐらい分厚いレンズのメガネを使っている。おかげで社内では『虫メガネ』と呼ばれている。コンタクトレンズを幾度となく勧められたが、目にモノを入れるのが恐ろしくまだ踏み切れないでいる。
「ありがとう、今日家に帰ったら見てみるよ」
 私はうさん臭さを十分に感じつつもDVDを受け取る。
「目にいいかはともかく、内容はそれなりにおもしろいよ」
 彼はそう言い残して席を立った。

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 特に何事もなく業務を終え、いつも通りスーパーに寄って半額の弁当を漁り、会計をするときにカバンを開いて見慣れ ない箱が入ってるのを確認した。そういえばこれ、近藤に借りたんだった。たしか、目がよくなるDVD。こんなに信じる人間がどこにいるんだと思うが、内容はおもしろいとのことだったので、少し興味はある。 
 部屋に着いて弁当を温めながらDVDの箱を眺める。
 内容の説明はどこにも書いていない。last manとはこのジャケットの男のことなのだろうか。今のところわかるのはこの程度のことだけだ。とにもかくにも、一度見てみよう。
 弁当を開いて、DVDプレーヤーを再生する。いつもは適当なニュースを流しているところを今日は映画だから少しだけ豪華だ。いや、映画を見るぐらい大したできごとじゃない。私はちゃんとしたOLとしての道を歩み始めたのだ。

 ところで、映画の方は本当によくあるアクションものだった。確かにまあ、面白くないとは言えない。近藤の言っていた「それなりに面白い」という言葉がよみがえる。どうせなら、と開けた缶ビールも早々になくなってしまって、映画をじっくり見ることはできたのだけれど、目がよくなると感じられる要素は一切なかった。たとえば緑が多いとか、立体視が求められるとか、視力矯正本に載ってそうなギミックなどはない。
 the last manというのはまさにこのジャケットのこの男のことで、情報統制が敷かれた社会の反社会組織の「最後の男 」を指している。この男のもとに政府から様々な刺客が送られてきて、彼がその刺客と戦いながら、時には逃げながら、この政府の不祥事を暴こうとする映画だ。ドキドキするシーンやハラハラするシーンもあった。誰にも知られていない映画にしてはよくできていると思う。
 それを見終えたところでちょうど眠気がきた。

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「どうだった?」
 と昼休み、近藤は私の前に座って言う。
「うーん、まだ一週間だからねえ」とのんびり答える。
 近藤にあの映画を渡されてからちょうど毎日、昨日で7回あの映画を見た計算になるが、私も暇なものだなあと若干あきれている。ニュースやバラエティ番組を見ているのだって同じ時間の使い方なんだからと言い聞かせてはいる。
「そんなにかけて大丈夫?」
 近藤が定食の卵焼きにかなりの量の醤油をかけていて、思わず声をかける。
「ああ、最近これぐらいがちょうどよくてさ。ところで」
 その卵焼きを口に運びながら彼は言う。
「俺はもうあの映画を15回ぐらい見たんだ。すると、10回を越えたあたりから、次の日本当に目がよくなっているんだよ。それを実感した日はあの映画を2回も見てしまった」
「『同じことを同じ日に2回するな』」
「『それは死神を呼ぶ合図になる』」
 the last manに出てくるセリフだ。考えるより先に出ていて、まさかセリフを覚えてしまっているとは、と後から驚く。
「お、いいねえ」近藤がニヤリとする。
「本当に目がよくなってるの?」
「本当だよ。何ならメガネだって要らないぐらいなんだけど、まだ少し怖くてさ」
「ふうん。私ももう少し見てみようかな」
「ぜひそうしてくれ。3人で検証しよう」
「3人?」私と、近藤と、あと?
「あれ、言ってなかったっけ。吉田に貸した日に坂上にも貸したんだよ。あいつも毎日見てるって言ってた」
 もう1人バカで暇なやつがいたのか。
「坂上くんはなんて言ってた?」
「まだ効果は出てないって。でも、もし俺のあとに2人が続けば、俺はこの会社からメガネの人間を根絶できるかもしれない」
 近藤はてんぷらに大量の塩をかけながら得意げに言った。塩辛くなってしまわないのだろうか。

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 それからまた一週間経った昼休みの『定期報告会』で、ついに近藤はメガネをかけていなかった。

「メガネ、ないじゃん」
「そうなんだよ、裸眼で生活できるまで視力が向上しました」
 最初は疑心暗鬼だった私も、もう彼の言うことを信じている。なぜなら、私もそれを実感しているからだ。
 初めて気がついたのは10回目の次の日の朝。起きると明らかに見える景色が違っていて、いつもより遠くが見えた。感動だった。近藤の言っていたことは、ウソじゃなかったんだ。その日は飛び起きて近藤にメールを送ったことを憶えている。
「たのしみだな」
「え?」
「たのしみだなって」
「ああ」
「坂上も、実感してた」
「なんと、検証成功ではないか」
 相変わらず大量の調味料を消費する近藤に言う。最近は拍車がかかっている。

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 またまた一週間、最近はなぜだか目覚まし時計の音でうまく起きれずに、遅刻ギリギリで起きる生活を続けている。
 上司が私を呼ぶのにも気づけないことが多くなり、映画の見すぎでぼーっとしているのだろうか。少し気合いを入れなおさなければならない。
 しかし毎日起きるたびに視力が上がっていて、世界はこんなにクリアだったのかと、退屈な毎日も楽しくなってしまっている。
「近藤もまだ見続けてるの?」
 いつもの昼休みだ。
「ああ、もはや『目が良い人』の部類に入ってるといっても過言ではないのだが、見ていないと視力が落ちそうで」
「たしかに、わかる」
 私ももうメガネを外して仕事をしている。もう「虫メガネ」と呼ばれることもなくなった。
「この調子でわが社の視力を改善しようではないか」
 もはや醤油と卵焼きのどっちを食べているのかわからない近藤が偉そうに言い放った。

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「え……?」
 私は部屋で一人、声を漏らす。
 目覚まし時計の音が聞こえないからだ。それも、全く聞こえない。だから、今口にした言葉も本当に「え」と発音したのかどうか、私には確かめられない。
 この目覚まし時計のアラーム用の針と時間を示す2本の針は、確かにアラームが鳴る時間を指している。この目は確かだ。近藤と坂上くんが保証してくれる。
 それなのに、どうして何も聞こえないんだろう?
 枕もとで携帯が光る。これもおかしい、マナーモードは解除している。なのになぜ、何も聞こえないんだ。混乱しながら手に取った携帯電話の通知には、近藤の名前が。


『おい、今とんでもないことが起きている。朝ごはんの味が全くしないんだ。どれだけ塩をかけても、どれだけ醤油をかけても、辛味を足しても、何も味がしない。
 目はすこぶる調子がいい。でも味は全くしない。まるで視力の代わりに味覚を失ってしまったみたいだ。
 お前は大丈夫か? 何か異変は?』


 もう遅い。そういうことだったのか。映画を見るだけで視力が回復するなんて都合のいい話、あるわけがなかったのだ。
 私は近藤のメールを無視して、会社に行くのもやめて、DVDプレーヤーを起動する。
 何度も何度も繰り返し聞いて憶えてしまったオープニングのあの音楽も、今は聞こえなかった。

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お菓子の宇宙船

・お菓子の宇宙船 

 ここはお菓子の宇宙船。
 船体はチョコレート、両翼はクッキー。スポンジの椅子にキャンディーの操縦桿。モニターは金平糖でできていて、スイッチはカラフルなラムネ。エンジンはコーラと甘いオレンジジュース。もちろん、パイロットの宇宙服は綿菓子だ。
 この宇宙船にはかつて数十人の甘党が乗っていたのだけれど、今はたったの2人になってしまった。
 これにはいくつかの理由がある。

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 1つ目、病。
 お菓子の宇宙船は誘惑だらけだ。なんてったって、日に3度食べることが許されている宇宙『菓子』以外にもたくさんのお菓子が文字通り目の前にあるのだから。甘党ばかり集められて作られたこのクルーにはあまりにも甘すぎた。
 誰もかれもが好き放題にお菓子を食べて優雅な宇宙旅行を続けていたが、悲劇が起こるのはそう遅くなかった。一人目の患者はわずか2か月で発症してしまった。このとき、船内の誰もが今まで見落としていたその重大な過失に気がついた。

 医者に甘党はいないってこと。

 その後しばらく、誰も甘いものを口にしようとしなかったおかげで、被害は一人に抑えられたかと思ったのだけれど、その一人が悲しくも亡くなってしまったときのみんなで執り行った『菓子葬』で、彼らはその悪魔に魅せられてしまった。
 No Candy, No life!  そうして彼らは三日三晩お菓子パーティーを続けた。

 あたりまえだけれどお菓子を食べ続ける毎日で体を壊さないわけもなく、一人、また一人と足を悪くし、血流がドロドロになり、虫歯で歯がボロボロになっていく。当初天国のようだった宇宙船内は、まさに地獄絵図だった。
 このお菓子の弊害によって数名のクルーが死に、ほぼ全クルーの小便が甘い匂いになってしまうころ、宇宙船は『マシュマロ銀河』に突入した 。
 大小さまざまなマシュマロ惑星によって形成されたこの銀河は、もはやクルーにとどめをさしにきたようなものだった。
 欲望を抑えきれなくなった約8割のクルーは綿菓子に身を包み銀河を泳ぐ。
 そしてどこから持ってきたのか、それぞれが持っていたバーナーを使って、この銀河で一番大きな『恒星』を焼きマシュマロにしながら、彼らは幸せに死んでいった。

 彼らの最後の死因は、最もシンプルで、そして最も重大なこの宇宙船の欠陥だった。
 クルーの大半を失った宇宙船は、それでもかなりの間航空を続けた。残ったクルーは細々と太りながら生きながらえたが、ついに船内の食料は底をついてしまう。
 彼らはどうしたか?
 当然、宇宙船を食べる。これまで食べていたように。
 予定では全員が好きなだけ食べてもあと40年はゆうに持つ量だった。それに、そもそも旅を続けられないほど食べるわけがないだろうとみな高を括っていたのだ。そんな予定が通用しないことは、すでにクルーたちは知っていた。それでも食べることをやめられなかった。
 食べるものがなくなって、壁を食べ続けた結果どうなるか。誰の目にも明らかだった。でもみんな、お菓子でおかしくなってしまっていた。
 取りかえしのつかないことをしていたと後悔したのは壁が破れて船内が『暗黒菓子』でいっぱいになってしまったときだった。暗黒菓子は船内のあらゆる機器と窓を破壊して宇宙船をただのさまようお菓子箱にした。
 その衝撃で最後の2人をのぞいたクルーは宇宙空間に飛ばされてしまった。宇宙のあらゆるお菓子に囲まれて死ねるなんて幸せな最後だ。

 最後に生き残った2人はそれからもまだ航空を続けた。というよりは、そうする他なかった。目も見えなく耳も聞こえなくなって、お互いの名前も忘れてしまったようだ。でも2人にはそんなものはいらなかった 。お菓子を食べるためには嗅覚と味覚、この二つで十分だったのだ。 
 穴だらけの船内で行く当てもないまま、宇宙の果てのまだ見ぬお菓子に思いを馳せている。

丘の上の館 #2

≪丘の上の館を一目見た瞬間、私は「欲しい」と思った。「ここが執筆人生の墓場だ」と。
 そう思うや否や、私は丘を駆け下っていた。そんなはずはないのに、一刻も早くあの館を自分のものにしなければなくなってしまうような気がしたからだ。丘の上の館の存在は危うい。
 いつ消えてしまってもおかしくないのだ。町の人間はこの丘の上の館には何の視線も送らずただそこを回り道して目的の建物へ向かう。誰にも相手にされず、何者の邪魔もせず、あるはずなのにないようにふるまわざるを得ないあの館に、私は一目ぼれをしたのだった。≫

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≪丘を下ったところにある町は昔ながらの下町で、蔦の這う二階建ての木造の家や「朝ごはん 300円」とだけ書かれた看板がある定食屋、小さな電器屋、などなどが並んでいる。その中にぽつんと一軒、不動産屋を発見した。丘を駆け下り息も絶え絶えの私は申し訳程度に服装を正した。
 やや重いガラスの戸を、少し力を入れて押す。音もなく開いたはいいが店の中には誰もいない。「すいません」と奥の事務所らしきところに声をかけてみる。しかし、反応はない。「あの、すいません」もう一度、前よりも大きな声で。……誰も出てこない。
 定休日か営業時間外なのかと思い、いったん店を出て看板を確認するが、そこに書かれているのは「島原不動産」という店の名前だけで、営業時間などどこにも書いていない。不親切だ。
 しばらく店の前で待ってみたが店員の現れる様子はない。はたから見れば観光客が不動産屋をのぞいている不思議な状況だ。いつまでも立っていれば怪しまれるだろうと、今日はあきらめて宿に戻ることにした。≫