film.

だれも知らないまちへふたりで

死んだ人

ばーん!
 盆が床に打ち付けられる音が鳴り響く。学生たちはその音に驚き、狭い食堂内にほんの一瞬の静寂が訪れるが、何事もなかったように日常に戻っていく。
 私は床に散乱する豚カルビ丼と揚げだし豆腐を無視して、カウンター席に座る彼の元へ走り寄る。
「なんで?」
 困惑と驚きが入り混じった私の顔を、彼はじっと見つめている。
「なんで、って言われても」
「なんであなたがここにいるの?」
 彼がここにいるはずなんて万に一つもないのに。
 私は気が付かないうちに涙を流していた。あり得ない状況に理解が追いついていなかったからか、彼に再会できた喜びからか。もう二度と会えないと思っていたのだ。
 彼はころころと変わる私の表情を愉快そうに眺め、縁起臭い口ぶりで言った。

「死んだ人間が、生きてちゃおかしいかよ」

 

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 彼は死んだはずだった。というか、実際、死んだことを彼自身も認めている。
 ほんの10日前のできごとだ。台風の日に交通事故に巻き込まれた彼は、病院に搬送されたが間もなく死亡。通夜と葬式を済ませ、ようやく少し元気になったので学校に来てみた矢先だった。
「事故る瞬間までは憶えてるんだけどなあ」
 と彼はのんきに言う。
 私たちは落とした盆と昼食を片付けて二人でいそいそと食堂を出、人気のない裏庭に移動した。
「まだ全然何も理解できてない」
 とにかく落ちついたはいいものの、なぜここに彼がいるのかということの理由は判明していない。
「俺もわかんないんだよ。気がついたら食堂にいて、特にお腹も空いていないしスマホも持ってなかったから暇してた。そしたら、お前が来た」
 そしたら、で済ませられるものか。
「なんでそんなに冷静なの?」
 とやや怒り気味で訊ねると、彼はそうそう、それが不思議なんだよねと答えた。
「他の人には見えていないとか?」
「いや、それなら幽霊になったってことで」彼はひじを曲げ両手を胸の前に持っていき、手の甲をこちらに見せ指を下に向ける。「まだ納得できるんだけど」
「だけど?」
「他の人にも、というか、少なくとも食堂にいた全員には俺の姿が見えているっぽい」
 またしても理解できずに沈黙していると、
「しかも、俺が死んだことがなかったことになってる」
「は?」
 思わず声が出てしまう。たしかに彼の棺桶の前で焼香をあげたはずだ。
「だって、田中とか新村とは普通にあいさつしたし」
 彼は親しい友人の名を挙げる。彼らも間違いなく通夜と葬式に参加し、涙を流していた。ところがいま、彼が死んだことを認識し、記憶しているのは私だけということになっている。
 だから彼も、私が「なんで?」と聞いたとき驚いていた。死んでいないことになっていると思って困っていたら、自分が死んだことを知っている人間が現れて、何がどうなっているのかよくわからなくなってしまったらしい。
 混乱してしまいしばらく黙っていると、彼が口を開いた。
「まあ、考えてもしかたないか」
 彼の口癖だった。
「神様のいたずらだと思うことにする。不老不死みたいなもんだし」
 適当なことを言う。同時に、彼がいいならいいかと納得している自分がいることに気がつく。
「もうそろそろ3限始まるぞ」彼が立ち上がる。
「死んだくせに授業受けるの?」後ろからついていく。
「学籍上俺はまだ生きてるんだよ」
 と、彼が不意に立ち止まる。
「どうしたの?」
「斎藤先生いるじゃん」
 西洋史の先生だ。
「あの先生、『死んでる』ぞ」
「え? どういうこと」
 私は斎藤先生の授業を受けたことがある。ということは、生きているということだ。
「たぶん、俺と同じだ」
「なんでわかるの?」
「さあ。でも、死んだ人間には死んだ人間がわかる」
 わけがわからないけれど、妙に説得力があった。