film.

だれも知らないまちへふたりで

パスポート

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 当機はまもなく着陸態勢に入ります、というアナウンスで僕は目を覚ます。窓の外を見ると眼下に薄っすらと街明かりが見えていて、夜になっていることに気がつく。
 今一度安全ベルトをお確かめください。無機質な客室乗務員の声、続いて、英語。
 若干の尿意を感じながら、もう着陸後までトイレに行くことはできないのでなるべく考えないようにする。一口分余っていたペットボトルの水を飲み干す。LCCにはもう何度も乗ったけれど、乗れて6,7時間で、それ以上乗ると息苦しくておかしくなってしまうかもしれない。
 今度もっと遠くへ行くときは、少しお金を出してちゃんと席幅がある飛行機に乗ろうと思う。

 


 ぽーん。

 そういえば、と書き忘れていた入国カードを手に取るが、机を出せないんだった。
 急に手持ち無沙汰になるが飛行機に乗っている間はいつもそうだ。僕たちはネットにつながれていないとこんなに何もすることがない。Internet or Die.
 快適な空の旅とは皮肉もいいところの狭いシートで、せめて降りた後のむくみを少しでも和らげようと足をもむ。隣の外国人は一向に目を覚ます気配がない。
 ごおお、と風を切る音か空調の音を聞いてしばらく何もせずに外の景色を見るが、あまり景色は変わらない。
 効きすぎている空調をもろに受けながら行き先を思う。常夏の島国で、果物がおいしくて、物価が日本の3分の1ぐらいで、タクシーはぼったくりで、現地の人はみんなバイクタクシーを使っている。世界遺産もそれなりにあるが、周りにいるドライバーや物売りはみんな日本人を見ると吹っ掛けてくる。日本円にして300円ほどの差だが、僕はいつも値切りから入る。結局半額ぐらいになるが、それでも現地の価格に比べればぼったくり価格なのだ。

 ぽーん。

 観光地のお土産屋や、飲食店は観光地価格なので、できるだけローカルで食べましょう、と先輩には伝えてあるが、先輩はほとんど初の海外で、何もわからないのでかなりビビっていて面白かった。とりあえず観光もそこそこに、飲みにいきたい、と、飛行機に乗る前から浮かれていた。
 とはいえ僕も初めての国で、久しぶりの海外旅行に緊張はしている。
 英語だってあんまり通じないらしいし、結局身振り手振りでやるしかない。現地の文字はひじきが走っているだけで読めやしない。
 ガイドブックには申し訳程度のあいさつ文と、タクシーに行き先を伝えるための現地語が書いてあるが経験上こういうのは全く通じない。そもそも口や舌の使い方が違うから同じ音を出しようがないのだ。

 ぽーん。

 しばらくして飛行機は着陸する。ふわっと内臓が浮くような下降を何度か繰り返し、滑走路めがけてものすごいスピードで入っていく。タイヤが滑走路に触れる。ガガガガガと大きく揺れる。僕はいつもこの瞬間、タイヤが折れて止まれずに腹から着陸して飛行機が大破して死んでしまうのではないかと不安になるのだが、そんなことはなく、ゆっくり速度を落とし完全にパイロットの支配下に置かれている。
 アナウンスがある前に乗客はシートベルトを外し、各々の荷物をまとめ始める。長身の白人が窮屈そうに立ち上がって通路に出る順番を待っている。
 ほどなくしてアナウンスがあり、混雑のない程度に並んで降りていく。
 機内のそれとは真逆の湿度を持った高温に思わず顔をしかめるが、同時に異国に降り立ったことを実感する。
 黙々と歩いてイミグレーションに着く前に先輩と合流し、入管におびえる先輩の相手をする。

 パスポートにまた、スタンプが増える。26個目のスタンプだった。