安心な僕らは風呂で寝ようぜ
今日、なんとなく風呂を沸かして、何をするでもなくぼーっと浸かっているとまどろんできて、気が付いたらしばらく眠ってしまっていた。
目を覚ますと首から下が溶けかかっていた。
俺はこのまま死んでしまうのだなと思ってあきらめてもう一度目を閉じたのだが、そのときに部屋のドアがガチャリと開く音が聞こえる。
「ただいまー」と陽気な声。「あ、お風呂入ってるのかな」
スーパーのビニール袋がすれる音と足音。暑くて風呂のドアを開けっぱなしにして入浴していた俺と、ビジネスカジュアルの彼女の目が合う。
「……何それ?」
溶けかかっている俺を見て、彼女は目を丸くする。
「なんか風呂で寝てて、起きたらこうなってた」
声は出るらしい。体はもう全く動かないが。
彼女はしばらく無言で口をパクパクさせていたが、そういえば、と思い出す。
「あんたこの前も溶けかかってたね」
風呂でこんなことになったのは初めてだけど。
「ほら、代々木公園で」
「あー、あれか」
確かに溶けかかったことはあった。でもあれは暑くてしかたなくて、敷いたシートに寝ころんだ俺が溶けてなくなってしまいそうだという比喩であって、こんな風に本当に溶けそうになってしかも身動きも取れないなんてことではない。
「あれの延長だと思えばいいんじゃないの」
と、彼女は勝手に納得してこの問題は解決したとばかりに風呂を後にした。
「どうしようもないんだけど……」と俺は小さな声で助けを求めるが、彼女は冷蔵庫に買ってきた食材を戻しているようだった。
さてどうしたものかと思っているうちに、首から上も溶けかかってきた。
「おーい、助けてくれー」という叫びは声にならず、少し遠くで何かを痛めている音だけが聞こえる。
そしてぶくぶくと頭の先まで沈んでいき、水上を目指すも何の動きも取れず、息が切れて気を失う。
鼻にお湯が入りむせて、ハッと目が覚める。
みそ汁の匂いと、揚げ物の音。
安心な僕らは風呂で寝ようぜ。