無思想無頓着
聴くと胸が締め付けられる曲がある。それは曲調の問題ではなく、俺がそれをどの時期に一番聴いていたかという記憶の問題だ。でももっと言えばそのころを思い出さなくてもなぜか泣きたくなるような曲だってある。それはどこに由来しているんだ?
もう書くことがなくなってしまった。
ブログを書きたいという思いはあるし、お題を募集したり、思いついたテーマをコツコツとEvernoteの残してもいる。
でもいざこうしてPCを開いてキーボードに手を置くとすっかり俺は面倒になってしまう。これは俺の本能が俺が思って入る100点のことを絶対にかけないということを知っているし、それなりのものを書こうと思えばかなりの時間を要することになるのに、仕事から帰ってきて何もすることがないときに開いたって良いものができるわけがない、だからやめろと警告しているのだ。
とはいえ書けないなんてことは絶対になくて、なぜならキーボードを打てば文字は記録されていくから。
だからたぶん書くことがなくなったっていうのもウソだ。
こういう話をだいぶ前にもしたような気がする。
大体なにかを書ける人なんて本当にほんの一部だと思う。勉強の方法論だってスポーツの練習だって楽器の演奏だってちゃんとできる人なんて1000人いて1人というのはよくいう話だけど、こういう風に適当に何かを書いても550字ぐらいはいく。
人生で書ける文字の量が決まっているとして、この550字は無駄だったのだろうか。もう書けないようむにゃむにゃみたいな夢を見ることはない。
それなりのものを書けるようになるのに何年、というか、何文字かかるんでしょうね。
スポーツとか英語の勉強とかだと言われてるじゃないですか。シュート何本とか、リスニング何時間とか。
お話とかブログを書くのって、何文字ならそれなりといえるんか。
でもそれなりに書くというのはお湯が沸くみたいに徐々にできるようになってそれなりの合図が出るのではなくて、なんかよくわからんうちにそうなってるのかもしれない。
バルミューダの電気ケトルほしいんですよね。
あれかっこいいじゃないですか、使いやすそうだし。
僕結構コーヒー好きでわざわざ豆買いに吉祥寺くんだりまでいったり、東京のコーヒーのイベントも結構行くんですけど、電動ミルもなければポッドも1200円ぐらいのよくわかんないやつなんですよね。
それをどうにかしようと思ってた最近です。
そろそろこのPCの再起動が始まるらしい。
これで大体1000文字。思想がないというのは良いことだ。