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だれも知らないまちへふたりで

想像できないことについて

想像できないことについて話すことができるのでしょうか?
想像できることを話すことはできる。その想像を話せばいいだけだからです。
しかし想像できないことについて、僕がそれを思い浮かべながら話すことはその定義からして不可能なのではないでしょうか?
なぜなら想像できないのだから。伊藤計劃はハーモニーや虐殺器官で「意識の先のことば」を探したけれど、見つけることはできず「とりあえず今回はここまで」というようなことを言ってました。

僕が想像できないことといえば車の運転です。
正確には車を運転しているときの運転手が抱いている距離感かな。
運転免許を持っていて運転している人たちは普通に運転していますが、僕は免許を持っていないので全くその状態を想像できません。
特に想像できないのは運転席から見えない部分、運転席からナンバープレートまでの距離とか、ヘッドライトの距離とか。
運転できる人はみんなどんな距離感で運転しているのですか?
僕が運転したら絶対曲がるときとか止まるときにぶつける気がする。

自転車だってそうじゃんって言われることがあるんですけど、自転車とは規模が違うじゃないですか。
ボンネットの長さを頭に入れていても、ブレーキを踏むタイミングを間違えそうだし、後ろの距離なんて一切わかんなくなっちゃって、ゴリゴリすっちゃいそう。
もしかしてそんなこと考えないままでも運転できるのかな?

なので、駐車とかすごいと思います。
だって運転席より後ろの距離が全然わかんないのに、後ろにある壁とかにぶつからないように止めることができるんですから。もっと言えば出すときだって隣の車にぶつけないのがすごい。

こんなにすごいことがあるんだから、運転は神が与えたもうた人類の力なのでは…。