film.

だれも知らないまちへふたりで

変わりゆくもの

今日は大阪でも1,2を争う大きさの夏祭りこと天神祭が本祭り?か何かで、花火もあがるとのことでした。
毎年毎年めちゃくちゃ人が多いので僕はそっちには行ってないんですけど、地元にも一応天神さんがいてそこでもお祭りやってるので今日はこっちに行ってました。
ガラガラができるらしいので家に届いていた券を持って神社へ。


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かなり昔(たぶん中学生のころ)に行ったっきり行ってなくて、本当に8,9年ぶりだったのでわくわくしながら神社に着いたら、びっくり。
僕の想像からあまりにもかけ離れていたのです。
僕の知っているこのお祭りは、地元の人たちがみんな集まっていて、とは行っても神社はそんなに広くないので歩いていれば常に知り合いに出会うような状況でした。ところが、僕がそのとき見たのは、土曜日の7時だというのに全然人がいません。さらに、夜店も全然出てない。
僕の知っているこのお祭りは、少しばかりの歩道を残して隙間なく夜店が並び、神社では収まらないので前の道路にも、その道路を渡った先にも夜店、夜店でした。歩行者天国にはなっていないので横断歩道には警備員がついていました。
今は警備員どころか神社の中にすら数えられるほどの夜店しか出ていません。神社の外には、いかやきのお店がぽつんとあるだけ。提灯は神社の前に申し訳程度に提げられていて、神社から一歩外に出ると祭りの雰囲気などありません。

10年足らずでこんなに変わってしまうのかと驚きました。
このお祭りでは小学生が舞台で太鼓をたたくんですが、小学生の時は同級生が叩くのを見るため舞台の前のパイプ椅子に座って焼きそばを食べるのが恒例でした。今日その舞台を見に行ったら、小学生たちが叩いてはいるんですが、舞台の前には椅子がおいておらず、見物している人もあのころの半分もいません。

心なしか、神社が狭く感じました。いや、実際に狭いのでした。
僕はもう小学生、中学生どころか、10代ですらないのです。幼き頃とは目線の高さが違う。持っているお金の量も、価値観も、立場も、全部違っています。そんな状態であのころと同じようなわくわくを持っていても、ギャップがあるのは当たり前でした。
太鼓をたたいていた女の子は結婚して、子供を産んでいる。
あんなに遠いと思っていた神社が、歩いて10分もかからない距離になっている。
からあげも、みずあめも、ミルクせんべいの店はもうない。僕はなんとなくたまごせんべいを買う。

僕が長年住んでいるはずの町が、僕の知らない町に変わっていっているようで、不安になりました。
そういえば、大学入学して一人暮らしを始めてから、大阪に帰ってくるたびによく行っていた店がなくなったり、新しい建物が立っていたりしました。
たとえば梅田のルクア、グランフロント。地元のホルモン屋さん。「3」のつく日にやってた縁日。公園の遊具。
変わっていく町や人に、僕の記憶だけが置き去りにされている。けれど、僕の体は、こころは、交友関係は、町や人と同じようにどんどん変わっていく。
変わりゆくものへ。どうか僕の記憶を忘れないでいてくれ。たしかに僕はそこにいた。

そうして僕はガラガラの神社でガラガラを回し、サクマドロップをゲットして帰るのでした。