film.

だれも知らないまちへふたりで

グッドモーニング腐乱死体

 目覚めるとベッドの隣で死体が転がっていた。見てすぐにわかったわけじゃないけれど、声をかけても反応しなかったので、体に触れてみると冷たかったので、やっぱり死体だったのだろう。一瞬顔が引きつったけどまあこういうこともあるだろうと考え直して、私は食パンをオーブンにつっこんでお湯を沸かし始めたのだった。
「今日ね、部屋で誰か死んでたんだけど」大学の一番大きな教室に入り、友人を見つけた私はその友人の隣に座るなり言った。
「それで、どうしたの」「遅刻しそうだったし放っておいた」「ふうん。まあ、そんなこともあるでしょ」「だよね」
 口数の少ない彼女は別段驚いた様子でもない。私の部屋に死体があろうが変なきのこが生えてようがどうでもいいらしい。私はそんな彼女が好きだ。必要以上に人に干渉しようとする周りの人間にはもううんざりだ。今彼女の言った「そんなこともあるでしょ」、その程度の興味でいい。どんなこともあるのだ。彼女は私の要望を完璧に満たしていた。目立ちすぎない容姿や、無口なところや基本的に目を見て話さないところ。
 授業が終わってから、彼女を喫茶店に誘った。彼女はノートに目を落としながら「いいよ」と短く言った。
「T駅あるじゃん、あそこに昔からある喫茶店行ってみたいんだ」「今から行くの?」「うん」「わかった」
 彼女が立ち上がり、ノートを閉じて鞄に入れてすたすたと歩き出す。私も後ろからついて行った。
 実はT駅に喫茶店なんかない。彼女がどれぐらい話を聞いているか気になったので嘘をついたけど、思った通り全然聞いていなかった。そんなことはどうでもいいので、彼女は最高だなあなんて思ってると、彼女が前を向いたまま「T駅に喫茶店ないじゃん」と呟く。
「気づくのおそ」「別のこと考えてた」「まあ、いつもの喫茶店行こうよ」「うん」
 喫茶店の前の信号で、彼女が車にひかれて死んだ。別のことを考えていたのだろうか。赤信号なのに歩き出して、どうしたんだろうと眺めていると、往来の激しいこの国道にそのままふらふらと進んでゆき、ひかれた。落としたシャーペンみたいに道路を転がって、植え込みに頭から突っ込んで止まった。後ろで女子高生が「きゃっ」と短い悲鳴を上げていた。それから向こう側のサラリーマンらしき男性がすばやく携帯を出して、おそらく救急車を呼んでいた。正義感の強そうなカップルが彼女に近づいて、彼女の右足がないことに気がついて、女性の方が吐いた。彼女をひいた車の運転手が車を止めて出てきた。「赤信号だった!」と半分泣きながら叫んだ。後ろの女子高生が私に声をかける。「あの、友達じゃないんですか?」うるせー。友達ってなんだよ。友達じゃねーよ。
 私はその女子高生に「まあ、こんなこともあるでしょ」とその女子高生の目を見ないで言って、彼女の右足と遠くで聞こえるピーポーピーポーを無視して、喫茶店に入って、いつものアメリカンコーヒーを頼んだのだった。どうせすぐに夕暮れだ。彼女の死体も女子高生の悲鳴もカップルの女の子の吐しゃ物も夜に染まってさよなら。そんなこともあるでしょう?
 次の日、一番大きな教室で、私を囲って見たこともない女性たちが涙を流しながら「残念だったね」と口々に言った。私は彼女じゃないんだから残念かどうかはわからないよとその人たちに言うと、女性たちは人でなしを見るような目で私たちを見て、離れていった。遠くでなんだかひそひそ話をしていた。そんなことはどうでもいいのだ。
 それから一週間が経って、ベッドの隣の死体はそろそろ腐っていた。死体の腐るはやさはよくわからないけど、腐乱死体はこんな臭いがするのかと思って、私はオーブンにトーストをつっこんでコップに飲むヨーグルトを注いだ。
 私はこの一週間で彼女のようで彼女でない別の彼女を見つけた。
「死体腐ってきた」「くさいでしょ」「うん」「どうするの」「おいとく」「ふうん。いいんじゃない」「だよね」
 彼女のような彼女とは少しだけ会話が続く。やっぱり彼女のように完璧ではなかった。彼女は完璧だったよと私が言うと、彼女のような彼女は「いいんじゃない」と私の目を見ないで口癖を呟いた。

 彼女のような彼女をいつもの喫茶店に誘ってみたら、やっぱり車にひかれて死んだ。
 急ブレーキの音風に吹かれた紙くずのように飛んでいく彼女のような彼女の体短い悲鳴を上げる女子高生近寄っていく派手な髪型の男性急いで携帯電話を出す初老の男性嘔吐する私の前に立っていたおばあさん。まあ、いいいんじゃない。

 それからまた一週間が経った。彼女も、彼女のような彼女もいない私の唯一の彼女はもうこの腐乱死体しかないと思って一週間過ごしてきたけれど、声が返ってこないのは寂しい。
 そして今日の朝、「ぐっどもーにんぐ腐乱死体」なんておどけて言ってみた。もう風に吹かれて消えていた。