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だれも知らないまちへふたりで

音読の意味

こんにちは。

昨日、髪を切ってきました。切る前は失敗したサブカル男子、つまりただのオタクみたいな髪型でしたが、だいぶさっぱりして気分爽快です。

僕はここ20年ぐらいずっと同じところで髪を切っているのですが、そこは家族経営で、50代ぐらいのマスターが店長です。店内では孫が遊んでるぐらいの自由さで、昨日行ったら、お孫さんが店内で宿題をしていました
それ自体は別になんともないんですが、その宿題の内容にちょっと思うことがありました。

国語の宿題に『音読』ってありましたよね。あれを昨日やってて、まだこういうのあるんだな~と思いました。今となっては懐かしい思い出ですね。10年ぐらい前か。
でも、小学生のころは音読なんて意味ないやろと思ってましたが、今考えてみれば本を読む、文を読む/書くときの基礎になっているのは音読なのかもしれません。
そのお孫さん(小3)の音読を聞くと結構気持ちのいい文章でした。お孫さんが読むのが上手だったのもありますが、擬音が多く、一文をぐだぐだと書いてません。声に出して読むと気持ちいいお話だったと思います。
ああいう音読の繰り返しで「意味を理解する」ことよりも「いい文章とは何か」ということを体で覚えているのかもしれません。何回も何回も声に出して読んだ文章は、下手すると10年覚えてますからね。何かを書くときに無意識にそれを参照している可能性も否めません。そうなると、やはり声に出したい文、読みやすい文を読むべきです。

読む文章が良い文章なのであれば、音読は実は有効な執筆訓練になっているのかも。
今度から良い文章を見つけたら、音読してみようと思いました。
ではでは。