こんな街抜け出してしまおうよ

だれも知らないまちへふたりで

憶えていない男の憶えている話

 

 数年前のことだ。お前つまんねーから死ねよ、ってある友人に言ったら、酒が入ってベロベロのそいつは俺の言った意味はあんまりわかっていなかったけれどけなされていることは理解しているみたいで、ギャーギャーわめきながら俺の胸倉をつかむ。俺も大概酔っていて、視界をグルグルさせながらキレてるそいつの目をじっと見つめていた。
 クズとか、何で俺んちにいるんださっさと出ていけとか、とにかくありったけの罵詈雑言を口角泡を飛ばしながらそいつは俺に浴びせてきた。相変わらず視点は定まらず、そんなに怒ることもないだろと変に冷静になりながらこみあげる吐き気に抵抗できず、俺はそいつに思いっきりゲロをぶちまけたのだった。
 もうそこからは阿鼻叫喚である。怒りの臨界点を突破したそいつは吐いたばっかりで空っぽの俺の腹を殴りノーガードだった俺はみぞおちを抑えながらのたうちまわりそんな俺の横腹をそいつは蹴飛ばしまた俺がジタバタするその隣で別の友人たちはフローリングを流れる吐しゃ物を雑巾で拭いていたりもらいゲロしにトイレに駆け込んだり状況が理解できず慌てふためいたり俺を蹴り続けるそいつを必死に止めようとしていたりしていた。
 俺は吐いてすっきりした頭でめちゃくちゃだなあとか思いながら、蹴りが止んだ一瞬に飛鳥のような身のこなしで立ち上がりそいつの顔面にストレートを入れる。そいつはフラフラと二、三歩後ずさったあと、しりもちをついて気を失う。慌てて別の友人が抱えにいく隣をするりと抜けて俺は部屋を出る。手に持っていた半分ぐらい残ってる缶ビールを地面にたたきつけて月を眺めながら歩いて帰宅した。
 朝、二日酔いで気持ち悪い頭と、蹴られたせいでジンジン痛む腹に耐えながら学校へ向かう。
 いつ吐いてもおかしくない気分で駅の改札を入ると、昨晩のそいつを発見した。俺は無意識にそいつの後をつけ、通勤ラッシュで満員のホームで、電車が到着するのに合わせてそいつの背中を押す。バランスを崩したそいつが線路に落ちる瞬間は見届けず、身を翻して階段をのぼった。後ろの方で電車が到着する音と女性の悲鳴と急ブレーキの音が同時に聞こえたが、二日酔いの俺には関係のないことだ。
 俺はそのまま授業をサボリ、一日中部屋で眠っていた。
 夜中目が覚めると友人たちからのメールやら電話やらが溜まっていたが、すべて内容は「佐藤が事故で死んだ」の一言で済ませられる。明日に通夜があるらしい。
 そこから数日間はバタバタしていた。通夜を終え葬式を終え、友人の死に悲しむ友人を慰めたり、お前があの時死ねとか言ったからと責められることもあったりして、なんやかんやで二か月ぐらいを過ぎるとテストに精一杯になって友人たちはそいつのことを忘れていくのだ。
 俺もそいつのことを忘れるのだろうか。そいつを殺したのは俺だから忘れることはないはずだ。すでに背を押した手の感覚は忘れているが。きっとテスト期間に紛れて忘れていく。俺はテストなんてどうでもいいのだけれど。
 そいつは次の日首を吊って死んだ。どんな場面でどんな口調でどんな顔で言ったのかは覚えていない。
 ぶっちゃけて言えばそいつの名前と顔も覚えてない。本当に首つり自殺なのかもわからないし、そもそもそいつと交友関係があったかどうかもあいまいで、もしかしたら初対面で死ねよとか言っちゃったのかもしれないとか思いながら、まあどうでもいいやと忘却の彼方へ追いやるのだ。
 俺の中でそいつは最初からいないようなものだし、これからも存在しないのだけれど、なぜ突然そんなことを思い出したのかと言うと、別の友人が死んでいたからだ。
 俺はもう立派な社会人で、嫌味ったらしい巨乳の上司に毎日頭を下げながら給料をもらっているのだが、大学生時代の学友との関係はまだ断絶されておらず、お互いの暇が合えばどちらかの家に遊びにいくという程度の友人はいる。今回も例によって双方休みが取れたので、日曜の昼間っから一人暮らしの友人の部屋にお邪魔すべく颯爽とバイクを飛ばしていったわけだ。
 都会から少し外れた国道からさらにちょっと奥へ入ったところに友人のアパートは建っていて、なるほど中々古ぼけている。駐車場にバイクを止めて、何度か訪れた304号室へ軋む床を進む。
 そしてインターホンをピンポンと鳴らしたが、返事がない。数秒待って、もう一度鳴らすも、返答なし。ケータイに電話をかけてもコール音がずっと鳴っているだけだった。おかしい、仕事は休みだったはずだ。
 軽くドアを叩く。反応はない。うーんとしばらく待機してみたが、本当に何も起こらないので俺はしびれを切らしてドアノブをつかんで引いた。
 ら、すんなりドアは開いた。
 この日、俺はその友人と大喧嘩することになった。
 ドアを開けて廊下の向こうに見えたのは大きないびきをかいてパンツ一丁で眠る友人だった。なんだ寝てただけかと安心しておじゃましまーすと部屋にあがる。友人の頬を叩いて起こし、寝ぼけ眼のそいつの前に買ってきた酒を見せると、目を見開いて飛び起きる。
「おい」「なんだ」「なんでここにいる」「なんでも何も今日は休みだから遊ぼうぜって話したじゃねーか」「してたっけ」
 俺は若干いらいらし始めている。
「おぼえてねーのか」「……忘れてた」「まあいいや、飲もうぜ」「いや」
 友人はすっかり真面目な顔をしている。なんだこいつ。
「何」「今日はだめだ」「は」「大事な用があるから」「何時から」
 友人は時計を見て、真面目な顔を一瞬で青く染め上げる。
「30分後! やべえ!」どたどたと部屋を走り回りながら服を着替えて顔を洗って歯磨きを始める友人。俺は取り残されていらいらしている。
「おい」と俺が大きめの声で友人を制止する。友人はまだ帰ってなかったのかとでも言いたげな目で「なんだ」と反応する。
「俺との約束はどうするんだ」「また別の日にしよう」「俺はもうしばらく休みを取れない」「申し訳ない。けどもうどうしようもないからあきらめてくれ」
 何があきらめてくれ、だ。とそこで俺の怒りは爆発して、だいたいお前はいつもいつも~と長々説教を始めるが奴は聞き流すばかりだった。頭にきて死ね、この××野郎と叫んだところで友人の怒りの導線にも火がついたらしくネクタイを締める手を止めて今なんて言った?と俺に迫る。俺も引き下がるわけにはいかず死ね××って言ったんだよと強気に言う。
 そこからは子供みたいな喧嘩が始まって、しまいには友人の家の壁に穴をあける始末だった。それでも怒りが収まらない俺は友人に出ていけと言われると同時に立ち上がって台所から包丁を取り出し友人に向かって投げつけるとそれは胸に突き刺さった。大学時代ダーツで培ったコントロールは衰えてないなとかしょうもないことを考えながら友人のうめき声を背景に部屋を出る。帰り道で俺はふと明日が締め切りの仕事を思い出し、ああやばい早く終わらせなきゃとバイクの速度を上げる。投げた包丁の感覚はすでに失われている。
 が、目に入ったのは「よお」とボサボサの髪で言う友人でもビール片手に野球中継に熱中する友人でもなく、部屋の真ん中で血の海の中静かに寝ている友人だった。
 そして俺は数年前のそいつを思い出すのだった!
 死んでいるであろうその友人を見て俺は(なぜか)特に焦りや驚きを感じるわけではなく、作業のように警察に電話をする。
 何やらいろいろとやりとりを交わした後そこで待機していてくださいと言われ十分ほど待っていたら赤いランプでうるせえサイレン音を鳴らしながらパトカーがきた。
 どたどたと真剣な顔で部屋に入ってきた警察を見て少し笑いそうになったが、冷静を装いながら俺は警察の対応をする。
「あなたが○○さんですか」「はい、僕が○○です」から始まり、またさまざまなやりとりを交わしつつ、「彼のお名前はご存知ですか」と聞かれたところで俺はまた、ああ、と心の中でため息をつくのだ。
 憶えていない。
 だから俺は正直に「憶えていません」と答えるのだが、警察は不思議な顔をして、「憶えていない?」と繰り返す。
 友人の名前を、憶えてないのだ。というか、そもそもこいつと本当に友人関係があったかさえ曖昧だ。いつから付き合いがあって、とか、そんなことを記した書類がほしいなあとのんきに考えていると、「本当に憶えていないのですか?」と警察が聞き直す。
 この後のやりとりはもうめんどくさいので省略するが、しかし俺はしつこく質問を続ける若手の警察に「お前めんどくせえから死ね」と言ってしまう。
 友人が亡くなって精神状態がよくないのだろうと勘違いされた俺はその発言について咎められることは幸いにもなく「死ね」から多少の注意を受けて帰宅を許された。また明日お話を伺いますとのことだった。
 短気なのが俺のいけないところだと反省しつつバイクにまたがり、国道沿いの牛丼屋で遅めの昼食をとっていると、先ほどの警察官が一人で自転車で道を走っていくのを見つける。俺は牛丼を残して会計を済ませその警官を追いかける。
 どの交番に入っていくかの検討はついているので、先回りしてその交番近くの見通しの悪い交差点で待機する。俺のバイクはぶぅうんと声を荒げ、その時を今か今かと待っている。
 そして警官が自転車でその交差点に進入してくると同時に俺は出せる最高速度で突撃する。何とも言えない音が鳴って警官が交差点を転がっていく。俺はバイクに傷がついていないか心配なのでその速度をキープして我が家へ向かう。帰宅後すぐに確認したら横向きに擦り傷がついている上にライトが割れていて、これ修理代いくらかかるんだろうと財布事情が心配になるが、この傷と破壊の原因はすでに半分忘れている。
 結論を言うとその警察のにいちゃんは次の日事故に巻き込まれて死んだ。
 尋問を受けているときに名前を聞いた気がするが憶えているわけもない。大事なことは紙に書いて残しておこうと心の中で誓いながら、警察のにいちゃんが死んだということを新しい担当のおっちゃんに聞いて、ああはいと作業のように答えた。
 そして警察署であれやこれやと調査され家に着くころには十二時を回っていたが、俺は巨乳の上司とのセックスを想像しながら日課のオナニーをしている最中に俺はすべてを忘れた。前々から俺の生活のつじつまの合わない部分を振り返りながら、いつかこうなるんだろうなとは思っていた。しかしこう思っていたことも忘れているし、俺が今ここに記している事実も忘れている。たぶんいつか俺が俺という、存在そのものを