film.

だれも知らないまちへふたりで

何かを始めるということ。

誰も聞いてないのに自分が弱いということを喚き散らして保険をかけて自分を守るくせに他者の失敗とか自分より劣っている部分に対してやたら厳しいしそれを許そうとしない人、僕を見てるみたいでめっちゃ嫌いなんですけど大学に入って多いなあと思うようになりました。それだけ僕の弱い部分が増えのたか、露わになったのか。とにもかくにもつよい人になりたい。

 

さて、つよい人間になろうと思って最近あたらしいことを始めました。

こういうとイキりの大学生みたいでいやなんですけど、哲学を学ぼうと思って入門書を読み漁っています。

一回生のときにカッコつけるために哲学するか~って感じで読んだカントを3ページぐらいで挫折したっきり哲学には全く触れていなかった僕ですが、そういうカッコつけみたいなの抜きで純粋に興味を持って読んだプラトンはわりとスラスラ読めました。

2冊目にカントの入門書を手に取ってみれば、これも読めて、あのときの僕はなんて不純だったんだと反省しました。(カントの次に読んだハイデガーは難解すぎて放棄して今はまたカントに戻ってきています。)

まあ、僕が言いたいのは哲学してる僕はすごいんだぞーとか、もっと勉強しなさいとか、カントおもしろいんだよーとかではなくて(でもカントはおもしろいです)、何かに興味を持ってを始めるときに最初から正しいとかこうすべき(と言われている)方法に乗る必要はないんだなあと感じたということです。

世の中のほとんどのことはすでに先に調べたり考えたり読んだり書いたりされていて、そのことを一番効率よく獲得できる方法論もわりと言われつくしていると思ってて、僕は昔からその一番かっこいいやり方に則って「最初から知っている」状態を作ろうとしていました。そもそも「最初から知っている」なんてありえないのに。

「知らないから始める」んですよね。

ある人があることを始めたときに知らないことがたくさんあるのは当然なのに、その人よりそのことについて知っているだけの人が「無知だ」と非難するのは本当によく見かけるようになりました。理由はわかんないですけど。

その「他人の失敗や無知を許せない人」を僕は恐れていたし、僕自身「他人の無知や失敗を許せない人」だったから、「最初から知っている」人になろうとしていました。それがたまたま興味を持って読み始めた本によって崩されたわけです。

何かを始めるというときに、他人の目やくだらないプライドなんて気にしなくていい。そんなもので自分の上限を決めてしまうことはばからしいし、とやかく言ってくるような人も心の狭い人だと思っとけばいい。

 知らなくて当たり前、知らないことの何が悪いんだと胸を張って始めることが、つよい人になる第一歩だと思いました。