film.

だれも知らないまちへふたりで

死んだ人

ばーん!
 盆が床に打ち付けられる音が鳴り響く。学生たちはその音に驚き、狭い食堂内にほんの一瞬の静寂が訪れるが、何事もなかったように日常に戻っていく。
 私は床に散乱する豚カルビ丼と揚げだし豆腐を無視して、カウンター席に座る彼の元へ走り寄る。
「なんで?」
 困惑と驚きが入り混じった私の顔を、彼はじっと見つめている。
「なんで、って言われても」
「なんであなたがここにいるの?」
 彼がここにいるはずなんて万に一つもないのに。
 私は気が付かないうちに涙を流していた。あり得ない状況に理解が追いついていなかったからか、彼に再会できた喜びからか。もう二度と会えないと思っていたのだ。
 彼はころころと変わる私の表情を愉快そうに眺め、縁起臭い口ぶりで言った。

「死んだ人間が、生きてちゃおかしいかよ」

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パスポート

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 当機はまもなく着陸態勢に入ります、というアナウンスで僕は目を覚ます。窓の外を見ると眼下に薄っすらと街明かりが見えていて、夜になっていることに気がつく。
 今一度安全ベルトをお確かめください。無機質な客室乗務員の声、続いて、英語。
 若干の尿意を感じながら、もう着陸後までトイレに行くことはできないのでなるべく考えないようにする。一口分余っていたペットボトルの水を飲み干す。LCCにはもう何度も乗ったけれど、乗れて6,7時間で、それ以上乗ると息苦しくておかしくなってしまうかもしれない。
 今度もっと遠くへ行くときは、少しお金を出してちゃんと席幅がある飛行機に乗ろうと思う。

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足音はBGM

夏は暑いし、セミはうるさいし、俺の部屋のエアコンもずっとうーーーーーと異音を流していて、今年の夏は随分落ち着きがない。
仕事もなにやらどたばたが続いていて、それなのにマネージャーはいつも元気そうで、機嫌が良い人や、ちゃんと頭の良い人の下で働きながら無茶ぶりされながらやるというのはそれなりに楽しくもあるのだが、俺は早くこの状況から抜け出したくてもがいてもいる。

太陽活動は極小期に入っているらしいが、黒点の数は予測された平均を大幅に上回っている。突然太陽の活動が止まって、地球の自転がぴたっと止んで、星たちがしゅっと1点に収束して、宇宙があっという間に終わってしまう。

渋谷や新宿はあまりにも人が多くて、歩いているだけで心臓がぎゅっとなってつぶれそうになるときがある。
東京に来て2年が経って、そういうことにずっと慣れないままだったが、最近はイヤホンをぐっと押し込んで、街全体をミュージックビデオにしてしまえば乗り切れることがわかった。乗り切れるどころか、ウキウキで人を交わしたり、たまに駆け足になったりとかなり上機嫌に移動できるのだった。

夏は飲み会が多い。
飲み会は別に嫌いではないし楽しいのだけど、飲み会に行くとエンジンがかかりっぱなしで騒いでいるので、解散した後の電車で急に冷えてしまう俺がいて、そのときの俺はかつての嫌の記憶を持って迫ってきて、飲み会でみんなを楽しませないとまたああいうことになるぞと常に俺を脅すのだった。誰も助けてはくれない、俺はなんでもできる。人々の足音はBGM。

ガス代の支払い用紙がなぜかいつも2か月分たまっていて、2枚テーブルにあるのを見てやっと古い1枚を支払いに行く。
満足して、また2枚目が届くまで俺は新しい1枚を放置する。何もできないようで、ギリギリで何かができる人間。世間一般で言われている普通の人って、もしかしてこのことを指すのかもしれないな。

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たまには行ったことのない街に出てみるかと寝る前に考えて、そして眠りにつく。
朝からちゃんと起きられて、洗濯して、軽く掃除機をかけて、外は見るだけで汗が出るようなお天気で、知らない街に出かけることをやめてしまう。
ふらっと最寄り駅のカフェに入って、クソ暑い中クソ固いイスに座って、クソアツイドリップコーヒーを注文する。本日の豆はこちらですと差し出されたバインダーには、その様子すらわからない国の名前が並ぶ。遠くに実るコーヒーチェリーが俺の夏に消費されていく。
赤みがかった黒の液体を一口飲んで、持ってきた本を開けるものの、イスが固くて落ち着かない。早々に本を閉じて、店内をぼーっと眺める。常連そうなオシャレな男性がこれまたおしゃれそうな、よくわからない髪型をした男性店員と話し込んでいる。
カウンターの中にはあと一人何をしているのかよくわからないけど何かをしている女性店員。

一人でいると誰とも話さないまま一日が終わることが多く、誰かに聞いてほしくてツイートの数が多くなる。
別に部屋でご飯食べながらひとり言でも構わないけど、どうせなら誰かに届いた方がうれしいに決まっている。

このままずっと夏が続いてみんな溶けちゃったらいいのにね。