自動
あなたはメガネを食べたことがあるだろうか。俺はない。メガネは食べ物ではないからだ。しかしある種の人々は酒に酔うとメガネを醤油につけたりマドラー代わりにしてカクテルを混ぜたりするのだ。これはメガネを何かしらの食べ物、あるいは食事に必要なものだと認識しているからかもしれない。けれど彼らも普段からメガネをそういうものだと思って生きているわけではないだろう。アルコールに脳を侵され正常な理性を失い、本能・無意識・リビドーが解放されたその瞬間それをそうみなすのだ。
酒はすごい。
なぜならこの世でほとんど唯一の合法的な脱構築のための手段だから。君は酒を飲んで何もかもダメになってしまったことはあるか。俺はない。覚えていないからだ。構造から解き放たれた俺は強い。隠すことがないからだ。どんなことも言うし、トイレに駆け込んで胃の中のものを吐き出すこともできる。俺は強いのだ。一緒に酒を飲んでダメになってしまおう。
みんなには秘密がある。これは聞くまでもない。俺にも秘密がある。でも、秘密にすべきことなんて一つもない。俺が自分の話をできないだけなのだ。ブログを書くことでそういう自分の話ができるような人間になろうと思っているのかもしれないが、その目論見は見事に外れ、俺はこうやって何も考えずにただタイプするだけのブログ更新機械になってしまったのだ。
君たちは何フェチでしょうか。俺は音フェチ。水とかスライムのちゃぷちゃぷしてる音とかが好きです。これは言わなくていい秘密だった。
墓屋のセールストーク
こんばんは。
梅雨に入り自転車もおちおち乗っていられない近頃です。
ところで、お墓屋さんってあるじゃないですか。
あれなんていうんだ?墓石屋?
墓石屋でいいのか。
あの人たちってどの人を相手に商売してるんでしょうか。
だって、墓石買うってことは少なくとも死を近いものとしてとらえているか、もう死んでしまっているかのどっちかでしょう。
でも齢70のおばあちゃんが墓石屋に入って「あたしゃこのすべすべの石がいいね~」なんて言ってる風景はあまりにも胸が痛いし、売る方も「今年は三段積みがきますよ!」なんてセールスするわけもない。
じゃあ墓石屋はなぜ店舗を構えているのでしょう?
あれは店舗じゃなくて、ただの『墓石置き』で、たまたま外から見えるような造りをしてる建物だっただけなのか?
ということで、調べてみようと思い、「墓石屋」と打つと
お、墓石屋、儲かるの?
ちょっと寄り道してみましょう。
「サラリーマンなんてやめてしまえ」
といういかにもなブログが見つかりました。
ヘッダーがなぞの画像。
この記事のタイトルが「ぼろ儲けの墓石屋ビジネス」ということで、気になりますね。
なるほど、まずはブログランキングと。
よく見るブログの構成ですよね。
その下はなにやら不動産の情報商材?のようです、ふむふむ。
ほうほう……。
肺炎で死の淵を…
いや墓石屋の話せんのかい。
ブログなんてやめてしまえ。
「墓石屋 誰が買う」で調べた結果
墓石は誰が購入するの? : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
初めての発言小町をこんなものに使ってしまった。
結論、よくわかんなかったです。
誰かしらの生きている人間が買うらしいということでおしまいでした。
丘の上の館 #1
・丘の上の館 #1
『丘の上の館が丘の上の館と呼ばれるようになったのは、遠い遠い昔のことらしい。今でこそこの丘の上にはたくさんの建造物が並んでいるが、丘の上の館が丘の上の館と呼ばれる以前は、丘の上に何一つ建物はなく、丘の上の館がその第一の建造物であったのだ。
そんなわけで丘の上の館は丘の上の館と呼ばれるようになった。今でもその町の人間にとって丘の上の館とはその「丘の上の館」であり、他の丘の上の建造物はそれぞれ固有の名で呼ばれている。
丘の上の館には三つの不思議がある。
丘の上の館の不思議その一。こんなに有名なのに、誰も住んでいない。誰の持家かもわからない。そういう建物は得てして不良の集会所やよからぬ輩の待ち合わせ場所や心霊スポットになるのだが、丘の上の館はそのどれも当てはまらない。誰も住んでおらず、誰も近づかず、ただそこにあるだけ。
丘の上の館の不思議その二。扉が開かない。人が来ないのはそれが一因となっているのかもしれない。赤いレンガ造りのそれには立派な窓と、荘厳な扉がつけられている。鍵が閉まっているというわけではなく、そもそも開く仕様になっていないのだ。本当の入り口が地面にあるとか地下にあるとかいう町の人々の予想で少し昔に調査が行われたが、何も得られずに終わった。
丘の上の不思議その三。東を向いている壁にある言葉が書かれている。“借りてきた猫はしつけて返せ”
いつ、だれが書いたのかは誰も知らないし、その言葉の意味するところを知っている人間も、この町にはいない。その言葉は長い間消されも風化もせず、町の人々の心に残っている。
ところが近頃、丘の上の館に不穏な影。何でも、そばをうろつく男が目撃されているとか。』